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長野県の市町村章一覧(ながのけんのしちょうそんしょういちらん)は、長野県内の市町村に制定されている、あるいは制定されていた市町村章の一覧である。なお、一覧の順序は全国地方公共団体コード順による。廃止された市町村章は廃止日から順に掲載している。
概要
[edit]- 長野県は内陸県であり、日本で一番平均標高が高い県でありかつ奥穂高岳・赤石岳・御嶽山・間ノ岳など3000m級の山々に囲まれている県である。。他には「日本の屋根」と呼ばれ、[1]県境に標高2000mから3000m級の高山が連なり、内部にも山岳が重なりあう急峻で複雑な地形である。[2]その為、山に纏わる紋章が多く制定されている。例えば、2代目の伊那市の紋章は木曽山脈(中央アルプス)[3]・北安曇郡白馬村は白馬連峰[4]・上水内郡飯綱町は飯縄山・斑尾山[5]を基としている。
市部
[edit]市 | 市章 | 由来 | 制定日 | 備考 |
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長野市 | 「長」を変形し、図案化したもの[6] | 1967年3月29日[6][7] | 色は青竹色が指定されている[8] 1967年10月16日に再制定される[9] 3代目の市章である | |
松本市 | 若松と「本」を図案化したもの[4] | 1938年1月8日[4] | 2代目の市章である | |
上田市 | クローバー・桜・真田氏の紋章である六門銭を表している[5] | 2006年3月6日[5] | 色はクローバーは緑色・桜は桃色が指定されている[10] 2代目の市章である | |
岡谷市 | 「岡谷」を表している[11] | 1936年5月9日[11] | ||
飯田市 | 「い」を2つ組み合わせて、「田」を図案化したもの[6] | 1957年10月3日[6] | 旧・飯田市制時の1937年4月1日に制定され、[12]新・飯田市制施行後の1957年10月3日に再制定される[13] | |
諏訪市 | 「スワ」を図案化したもの[14] | 1941年8月10日[14] | ||
須坂市 | 「ス」を図案化したもの[3] | 1915年11月1日[3] | 須坂町章として制定され、市制施行後に継承される | |
小諸市 | 梅の花と「小」を図案化したもの[3] | 1954年8月1日[3] | ||
伊那市 | 木曽山脈(中央アルプス)と桜の花びらを表している[3] | 2006年5月29日[3] | 色は青色・桃色・緑色が指定されている[15] 2代目の市章である | |
駒ヶ根市 | 「コマ」を立体的に図案化したもの[3] | 1954年7月1日[16] | 1961年8月1日に告示される[3][17] | |
中野市 | 「中の」を組み合わせたものと高社山(高井富士)などの山々を図案化したもの[18] | 2005年4月1日[18] | 中野町制時の1933年11月に制定され、[19]旧・中野市制時に継承され、1961年4月1日に告示されかつ新・中野市制施行後の2005年4月1日に再制定される[20][21] | |
大町市 | 「大」を図案化したもの[5] | 1954年12月21日[5] | 色は慣行物などの資料には黒色が使用されている[22] | |
飯山市 | 「いいやま」を意匠化したもの[5] | 1954年8月1日[5] | ||
茅野市 | 「チノ」を組み合わせたもの[14] | 1958年7月17日[23] | 茅野町章として制定され、1958年9月20日に告示され、継承される[14] | |
塩尻市 | 四つの「ホ」を円形に組み合わせたもの[3] | 1959年5月10日[3] | ||
佐久市 | 「さ」を鳥が羽ばたく形に図案化したもの[3] | 2005年7月1日[3] | 2代目の市章である | |
千曲市 | 「千」を表したもの[14] | 2004年2月6日[14] | 色は橙色・緑色・青色が指定されている[24] | |
東御市 | 「と」を図案化したもの[18] | 2004年4月1日[18] | 色は青色と水色が指定されている[25] | |
安曇野市 | 「安」を図案化したもの[6] | 2005年10月1日[6] | 色は緑色と橙色が指定されている[26] |
町村部
[edit]郡 | 町村 | 町村章 | 由来 | 制定日 | 備考 |
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南佐久郡 | 小海町 | 中央部に「小」・三方に三つの「ウ」を表して図案化してから、三つの「ウ」は合併前の二村と一地区(小海村・北牧村・穂積村東馬流地区)の円満な発展を表現したもの[11] | 1961年11月3日[11] | 小海町役場新築を記念して1960年12月に一般公募にて募集されて集まった作品を1961年11月3日の同役場で町章制定審査会を開催した結果、作品が決定されてかつ同日に制定される[27][11] | |
川上村 | 「かわかみ」を図案化したものであり、村民の「和」を表したもの[11] | 1966年12月17日[28] | 村を端的に表すことを目的とするために1966年9月15日から同年11月30日まで一般公募で募集されて集まった作品を1966年12月17日に村章選考会を開催した結果、作品が決定されてかつ同日に制定されて、1988年11月1日に規程化される[29][11][30][28] | ||
南牧村 | 「み」を図案化してから二重に巻いて「みなみまき」を表し、村の飛躍発展を鳥に象徴して羽ばたきを示したもの[31][32][4] | 1970年10月19日[4][33] | 一般公募にて募集されて集まった作品を1970年10月19日に開催された村章選考審査会で当時勤務していた南牧村立南牧中学校美術科教諭と当時勤務していた南牧村立南牧南小学校板野分校教諭・当時の村長・当時の助役・当時の収入役・当時の村議会長・当時の教育委員長・当時の公民館長・当時の事務局教育長・当時の主事の合わせて10名によって審査された結果、決定されて同日に制定された[33] | ||
南相木村 | ミヤマザクラ(深山紅桜)(バラ科サクラ属の落葉高木の一種)の花を表し、その桜の中に「南」を中央部に配して図案化したもの[34][11] | 1961年11月3日[11][35] | 一般公募にて募集されて集まった作品を1961年11月3日に開催された村章選考審査会で当時の村長と13人の審査委員によって審査された結果、決定されて同日に制定された[35] | ||
北相木村 | シャクナゲで「北」を表したもの[11][36] | 1951年9月20日[37] | 講堂(講堂名は不明)の新築を記念して1951年5月1日から同年7月31日(募集期限は本来6月30日の予定であったのが諸事情で2ヶ月延期[38][39])まで一般公募にて募集されて集まった作品を村章審査委員で審査した結果、作品が決定される[38][39][37] | ||
佐久穂町 | 緑色の部分は町の自然と大地の豊かさ・青色の部分は千曲川の流域・赤色の部分は人々の「夢」・「躍動」を花で端的に表現したものであり、豊かな自然と共生しながら未来へ躍進する街づくりへの願いが込められたもの[3][40] | 2005年10月1日[41] | 新設合併を記念して2005年1月11日から同年3月10日まで一般公募にて募集されて集まった作品を同年5月17日から6月30日の間に町章選考委員会を4回開催して候補作品を5点にしてから同年7月22日から同年8月5日まで町章候補作品を全町民対象に向けてアンケートを実施して選考してから同年8月19日の選考会議で選考委員会者・議長・副議長・町理事者によって最終審査されて満場一致で決定されたのち、同年9月14日に告示されて同年10月1日に制定される[42][41][43][44][40] 色は緑色・青色・赤色が指定されている[41] | ||
北佐久郡 | 軽井沢町 | 「か」を図案化したもの[11] | 1960年12月22日[11] | ||
御代田町 | 「みよた」を表している[4] | 1967年8月25日[4] | |||
立科町 | 「立」を円形に図案化したもの[14][45] | 1963年5月8日[14][46] | 町を端的に表すのを目的とするために一般公募で募集されて集まった作品を立科町役場会議室で町章制定審査会を開催した結果、作品が決定されてから1963年5月8日に制定される[46][47] | ||
小県郡 | 青木村 | 「あ」と「青木三山」を図案化したもの[6] | 1974年1月1日[6] | ||
長和町 | 「N」・「W」を図案化し、太陽を表している[18] | 2005年10月1日[18] | 色は赤色・青色・緑色が指定されている[48] | ||
諏訪郡 | 下諏訪町 | 「下」を意匠化したもの[3] | 1948年3月22日[3] | ||
富士見町 | 「フジミ」を図案化したもの[4] | 1963年4月1日[4] | |||
原村 | 「ハラ」を鵬の形に表したもの[18] | 1961年12月13日[18] | |||
上伊那郡 | 辰野町 | 「辰の」を表している[14] | 1956年4月1日[14] | ||
箕輪町 | 「箕輪」を図案化したもの[4] | 1959年11月3日[4] | |||
飯島町 | 外側に「い」・その内側に「ひ(い)」・さらに内側の丸形は「島」を表してそれらを円形にして図案化してその下側にシャクナゲの花を配したものであり、住民の融和と調和ある町の発展を象徴したもの[6][49] | 1940年10月[49] (日付不明) |
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南箕輪村 | 「ミナミミノワ」を図案化したもの[4] | 1974年9月27日[4] | |||
中川村 | 「中」を図案化したもの[18] | 1959年3月2日[18] | |||
宮田村 | 「ミ」を表している[4] | 1975年1月1日[50] | 1974年11月25日に公表され、翌年1月1日に制定される[4] | ||
下伊那郡 | 松川町 | 「マツ川」と鳩を図案化したもの[4] | 1967年11月1日[4] | ||
高森町 | 「た」を図案化したもの[6] | 1960年7月1日[6] | 1959年11月2日に公表されていたものを翌年7月1日に制定される[51] | ||
阿南町 | 「ア」を図案化したもの[6] | 1971年7月22日[6] | |||
阿智村 | 「アチ」を図案化したもの[6] | 1956年9月30日[6] | |||
平谷村 | (著作権存続) | 「平」を図案化したもの[4] | 1980年4月1日[4] | ||
根羽村 | (著作権存続) | 「ネバ」を意匠化したもの[18] | 1980年4月1日[18] | 1980年1月28日に告示され、同年4月1日に制定される[52] | |
下條村 | (著作権存続) | 「シ」を鳥の姿を表して図案化したもの[3][53] | 1989年10月19日[3] | 1972年4月に制定されていたのを再制定したもの[53] 2代目の村章である | |
売木村 | 「ウル木」を図案化したもの[5][54] | 1979年12月28日[5] | 豊村分村30周年を記念して一般公募で募集された結果、1979年10月25日に開催された村章審査委員会で決定されてから同年12月28日に制定される[54] 色は緑色が指定されている[55] | ||
天龍村 | 「て」を山と天龍川に図案化したもの[14] | 1970年1月1日[14] | 1969年12月20日に公表され、翌年1月1日に制定される[56] | ||
泰阜村 | 上半分は「ヤ」・下半分は「ス」を合わせて円形に図案化したものであり、円形は躍進と発展を象徴・「ヤ」の形の真ん中にある三角形は大樹であり、大地にしっかり根を張ってから悠久無限の大空に向って久遠の理想を秘めて伸びるためであるもの[57][58] | 1973年4月1日[59] | 村に誇りと親しみを持ってもらうことを目的として1972年9月頃に一般公募にて募集されて集まった作品を1973年1月25日に村章公募選定委員会を開催して3人の学識経験者・村内の行政機関の職員と団体から委嘱された20人によって審査された結果、決定されて同年3月12日に告示されて同年4月1日に制定される[58][57][59] | ||
喬木村 | 真ん中に「喬木」を置いてからその周囲に八咫鏡の形を表したものであり、八咫鏡の形は村内にある八区(阿島・伊久間・氏乗・大島・大和知・小川・加々須・富田)の統合を記念したもの[57] | 1923年[60] (月日不明) |
第14代村長である玉井直太朗の発案制作であり、1971年1月27日に広告化されてから同年2月1日に施行される[61] | ||
豊丘村 | 「と」を図案化したもの[14] | 1975年11月22日[14] | |||
大鹿村 | (著作権存続) | 「大」を図案化したもの[5] | 1974年6月1日[5] | ||
木曽郡 | 上松町 | 「上」を図案化し、松葉を模した矢印を円形・上向きに加えたもの[6] | 1931年12月8日[6] | ||
南木曽町 | (二色篇) (三色篇) |
「ナ」を図案化したもの[18] | 1970年11月8日[18] | 二色の場合は「ナ」を白色・円内の余白を黒色とする[62] 三色の場合は「ナ」の字を白色・円内の余白を橙色とし、円外を空色とする[62] (但し、必要により他の色を用いることが可能である[62]) | |
木祖村 | 「木ソ」を図案化したもの[11] | 1972年8月1日[11] | 1972年7月20日に公表され、本年8月1日に制定される[63] | ||
王滝村 | (著作権存続) | 「王」を羽ばたく鳥の形に意匠化したものであり、鳥は村民の融和と緑の山野を表してそれぞれの各頂点には村の無限と発展を象徴したもの[5][64][65] | 1976年4月1日[5][64] | 定住しやすい環境と村民の意識の高揚を高めるためを目的として1975年11月から1976年2月29日まで一般公募にて募集されて集まった作品を同年3月5日に第1回村章選定委員会・同年3月9日に第2回村章選定委員会・同年3月19日に第3回村章を選定委員会で王滝村議会・王滝村婦人会・大滝村関連団体の合わせて12人が審査した結果、決定されて同年4月1日に制定される[64][65] | |
大桑村 | 桑の葉を図案化し、「大」を組み合わせたもの[5] | 1967年4月6日[66][67] | 1989年6月20日に再制定される[5] | ||
木曽町 | 「キ」を青一色に図案化したもの[11] | 2005年11月1日[11] | 色は青色が指定されている[68] | ||
東筑摩郡 | 麻績村 | 「オ」を意匠化したもので、「力強く羽ばたく鳥」と「美しく輝く星」を表しているもの[11] | 1971年6月1日[69] | 1971年7月1日に告示され、同年11月1日に再制定される[69][11] | |
生坂村 | (著作権存続) | 「イク」を図案化したもの[5] | 1968年4月1日[5] | ||
山形村 | 「や」を図案化したもの[4] | 1972年1月20日[4] | 制定前から使用され、1972年1月20日に条例設置される[70] | ||
朝日村 | 「ア」を図案化したもの[6] | 1972年9月10日[71] | 1972年9月7日に公表され、本年9月10日に制定される[6][71] | ||
筑北村 | 「チ」を図案化したもの[14] | 2005年10月11日[14] | |||
北安曇郡 | 池田町 | 「い」を図案化したもの[5] | 1966年11月1日[5] | 1966年9月21日に公表され、本年11月1日に制定される[72] | |
松川村 | 「マ」を円形化し、「川」を組み合わせて「和」を表したもの[4] | 1966年12月20日[4] | |||
白馬村 | 「ハク」を図案化し、白馬連峰を表したもの[4] | 1967年10月21日[4] | 白馬村旗は1956年9月30日に制定されている[73] | ||
小谷村 | 「オ」を図案化したもの[11] | 1968年9月3日[11] | |||
埴科郡 | 坂城町 | 「サカキ」を図案化したもの[3] | 1955年10月1日[3] | ||
上高井郡 | 小布施町 | 「小ブセ」を図案化したもの[11] | 1956年11月3日[11] | ||
高山村 | 鳩に象った「タ」を円満を意味する円形の中に図案化したもの[74][75][57] | 1978年1月[57] (日付不明) |
色は地色は白色・紋章は緑色が指定されている[74] | ||
下高井郡 | 山ノ内町 | 外側は三つの「山」・内側は「内」を円形に図案化したものであり、三つの山は合併前の3町村(平隠町・穂波村・夜間瀬村)を象徴したもの[76][57][77] | 1955年4月1日[57][77] | ||
木島平村 | 「木」を羽ばたく鳥のように図案化したもの[11] | 1973年7月14日[11] | 2代目の村章である | ||
野沢温泉村 | 「の」を円形に図案化したもの[18] | 1964年5月29日[18] | |||
上水内郡 | 信濃町 | 野尻湖・鎌・小林一茶・黒姫山などの町内三山を組み入れ、「信」を配したもの[3] | 1966年9月30日[3] | ||
小川村 | 全体は「小」を図案化してから、全体の形は大空に聳え立つ大木を表現して村民の友愛と団結により美しい自然と産業を守り難関を切り開いて未来への躍進と発展の姿を象徴したものであり、その中での「小」の文字の間の部分の文字を直線にしたのは真直に伸び村の限りない発展を意味を表したもの[11][78][79][80] | 1973年11月1日[11][78][80] | 村制18年の節目と1970年代前半の日本国内の高度経済成長社会を経験したことでの村を象徴する印の必要性を感じたことで1972年1月に村章性制定委員会を発足させて、同年内に一般公募にて募集されて集まった作品を1973年2月28日に開催された当時勤務していた信州大学教育学部教授関谷俊行を助言者として制定委員会で審査した結果、決定されたのち専門家の意見・使用方法・村章の規格と色彩指定の具体的な調整を経て同年11月1日に制定される[78][79][80] | ||
飯綱町 | (著作権存続) | 飯縄山・斑尾山を図案化し、末広がりな形を表し、リンゴの花を配したもの[5] | 2005年11月16日[5] | 色は緑色と橙色が指定されている[81] | |
下水内郡 | 栄村 | 村の木である桐の花の紫色の背景の上に「さ」を希望と躍進の願いを込めて表象化したもの[82][3] | 1976年9月30日[3] | 色は紫色が指定されている[83] 2代目の村章である |
廃止された市町村章
[edit]20世紀
[edit]市郡 | 町村 | 市町村章 | 由来 | 制定日 | 廃止日 | 備考 |
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長野市 | 「長」を図案化し、「の」を四つ組み合わせたもの[84] | 1907年5月[84] | 1915年10月 | 初代の市章である | ||
松本市 | 松葉を四つ表し、「本」を図案化したもの[85] | 1907年10月22日[85] | 1938年1月4日 | 初代の市章である | ||
下伊那郡 | 松尾村 | マツの尾を象徴し、七五三の数を配したもの[86] | 1933年4月29日[86] | 1956年9月30日 | 1904年に制定された飯田市立松尾小学校の校章の一部に使われている[87][86] | |
長野市 | 「長」を星の形に図案化し、「の」を表したもの[88] | 1915年10月[88][89] | 1966年10月16日 | 2代目の市章である | ||
篠ノ井市 | 「しの」を二つの円(輪)を連鎖型(リンゴ型)として図案化し、連鎖型にする目的は市民の温かい和合と強い団結、相互強調、連帯責任感を表したもの[90][91] | 1959年5月1日[90] | 篠ノ井町章(制定日不明[90])として制定されたものを市制施行後に継承された | |||
埴科郡 | 松代町 | 外周部分は六つのマツの葉・内側は「代」を図案化してから、松代城跡の街を形象化したもの[92] | 1921年8月1日[92][93] | 松代開府300年祭を開催する記念としてから松代町会の決議によって一般公募にて募集されて集まった作品を当時の町長である矢沢頼道と5人の審査員によって審査された結果、決定されて1921年8月1日に制定された[93] | ||
更級郡 | 川中島町 | 不明 | 不明 | |||
更北村 | ||||||
信更村 | ||||||
上高井郡 | 若穂町 | 外側の部分は「ワ」・その内側の部分は「カ」・さらにその内側の真ん中の部分には「ホ」を合わせて円形に図案化したものであり、全体は旧3村(綿内村・川田村・保科村)を組み合わせて三位一体の共和の姿を示してから町の光輝発揚と伸び行く町勢を表したものであり、「ワ」は融和を意味・「カ」は力(ちから)即ち勢いを示す・「ホ」は火に通じて焔の如く燦然と輝き成長する町の姿を表したもの[94][95] | 1960年2月11日[94][95] | |||
上水内郡 | 七二会村 | 「七二」を丸く図案化したもの | 未制定 | 村章として正式に制定されていないが、古く(使用時期不明)から使用されている | ||
西筑摩郡 | 福島町 | 作成されていない | 1967年4月3日 | |||
新開村 | 作成されていない | |||||
上高井郡 | 東村 | 「東」を円形に図案化してから円形にしたのは円満に発展させるように意味したもの[95] | 1955年9月30日[96][97] | 1971年4月30日 | 1955年8月に募集され、同年9月に制定された[96] | |
小県郡 | 川西村 | 「か」を鳥模様に図案化し、翼を広げ前進する姿を意味したもの[98] | 1967年11月1日[98] | 1973年4月1日 | 合併10周年を記念して制定された[98] | |
下高井郡 | 木島平村 | 不明 | 不明 | 1973年7月14日 | 初代の村章である | |
南安曇郡 | 安曇村 | 「安」を図案化したもの[99] | 不明 | 1975年4月7日 | 初代の村章である | |
下水内郡 | 栄村 | 桐と山を表し、中央部の円内に「栄」を入れたもの[100] | 1958年9月[101] | 1976年9月30日 | 初代の村章である | |
下伊那郡 | 鼎町 | 「鼎」を図案化したもの[102] | 1974年9月28日[102][102] | 1984年12月1日 | 1974年10月1日から使用された[102] | |
更級郡 | 上山田町 | 葛尾城主であった村上義清の紋章であったその紋章の「上の周りを丸で囲んだもの」を中心に配し、その周りに四つの「山」、更に周りに「田」で囲んだものであり、大正天皇の即位を記念して菊型に図案化したもの[103] | 1915年4月11日[103] | 1985年11月3日 | 上山田村章として制定され、町制施行後に初代の町章になる | |
木曽郡 | 楢川村 | 全体はナラの実であり、三方向の突出したものは村内の三大字(奈良井・贄川・平沢)を表し、学校建設等各地区相互に利害関係を超越し、ナラの実の中に「楢」を配したもの | 不明 | 1989年7月18日 | 初代の村章である | |
下伊那郡 | 上郷町 | 「上」を野底山を象徴する三角形で象り「郷」を小さめに浮かし、配したもの[104][105] | 1964年9月26日[106] | 1993年7月1日 | 1964年11月1日から施行された[106] 上郷村章として制定され、町制施行後に継承される | |
下伊那郡 | 上村 | 「上」を中心にし、シャクナゲの花と葉で囲んだもの[107] | 不明 | 1997年4月1日 | 初代の村章である |
21世紀
[edit]市郡 | 町村 | 市町村章 | 由来 | 制定日 | 廃止日 | 備考 |
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更埴市 | 「こ」と「し」を組み合わせて図案化したもの[108][109] | 1962年6月23日[108][109] | 2003年9月1日 | |||
更級郡 | 上山田町 | 全体は「カ」を円形に図案化したものであり、全体の形は大林山・八頭山・姨捨山(冠着山)の三か所の山々と千曲川の川の流れを表して町民の和と将来に向かって躍進する町の姿を象徴したもの[108][110] | 1985年11月3日[108][110] | 2代目の町章である | ||
埴科郡 | 戸倉町 | 真ん中に「戸」を置いてからその周囲に九つの「ラ」で「戸・九ラ=トグラ=戸倉」を花模様にて飾ったものを表したものであり、九つの「ラ」は町内にある九つの大字(磯部)が手を繋いだ和を表したもの[111][108][112][92] | 1960年9月1日[108][111][112] | 一般公募で募集してから審査を経て1960年9月1日に制定された[112] | ||
小県郡 | 東部町 | 「と」を図案化したもの[113] | 1962年4月2日[114] | 2004年4月1日 | ||
北佐久郡 | 北御牧村 | 「北」を図案化したもの[115] | 1968年1月1日[114] | |||
更科郡 | 大岡村 | 輪郭は「大」を形成し、その中央に「岡」を画いているもの[116][117] | 1915年11月5日[117][116] | 2005年1月1日 | 2代目の村章である | |
上水内郡 | 豊野町 | 四つの「ト」が円を描ているもの[117] | 1955年1月1日[117][118] | |||
戸隠村 | ソバの花を図案化し、中心部は「と」と小鳥を意味したもの[117] | 1967年11月1日[117][119] | 色は白色と緑色が指定されている[120] | |||
鬼無里村 | 「き」と一夜山・荒倉山・虫倉山とブナの原生林を円の中に図案化したもの[117][121] | 1971年11月3日[121][117] | ||||
木曽郡 | 山口村 | (著作権存続) | 「山口」を合体させ、簡明に図案化したもの[122] | 1975年11月1日[122] | 2005年2月13日 | 岐阜県中津川市と越境合併した |
南佐久郡 | 佐久町 | 千曲川の川の流れを中心部に置いてから全体は「さく」を読んだものであり、東西に発展する町を象徴したもの[123][124] | 1969年1月20日[124][123] | 2005年3月20日 | 地色は黒色であり、紋章は金色が指定されている[123] | |
八千穂村 | 「八千」を円形の中に図案化して八ヶ岳山麓・千曲川と穂波の里を象徴したもの[124][125] | 1956年9月30日[125] | ||||
東筑摩郡 | 四賀村 | 「シ」を円形・「ガ」を中央部に配してからそれらを組み合わせてたものであり、円形は人情豊かな全村民の融和・団結・平和を表現してその力の結集の下に限りなく躍進する村の輝かしい将来を象徴したもの[126] | 1969年6月15日[126][127] | 2005年4月1日 | 1969年11月24日に告示された[127] | |
南安曇郡 | 奈川村 | 「な」を図案化したもの[128] | 1966年9月1日[129] | |||
安曇村 | 「ア」を表し、中央の三つの山型は乗鞍岳・穂高岳・槍ヶ岳などの山岳を示し、右下の部分は大正池・明神池・梓湖の水資源を表したもの[130][131] | 1975年4月7日[129] | 村旗とは一部デザインが異なる[132] 安曇村開村100周年記念行事の一環として制定された[133][134] 2代目の村章である | |||
梓川村 | 梓弓・梓川を形どり、円は「平和と融和」を表したもの[135][136] | 1957年11月1日[129][135] | ||||
下水内郡 | 豊田村 | 四方に「ト」かつ「田」を外側の囲いにしてから中央部の「十」を表して「田」にしたものであり、「ト」は豊かさと無限の発展を表現・「十」は村民の和を象徴したもの[20] | 1957年4月3日[20][137] | 村制施行を記念して一般公募で募集された結果、決定されて1957年4月3日に制定された[137][138] | ||
木曽郡 | 楢川村 | 全体は「N」を図案化し、緑を想像する山々と青を想像する奈良井川を表し、悠久と清澄を意味したもの[139][139] | 1989年7月18日[140][139] | 色は緑色・青色・白色が指定されている[139][139] 2代目の村章である | ||
佐久市 | 「さ」を鳥類の飛躍の姿に図案化したものであり、市民の融和と市の飛躍を象徴したもの[141][142] | 1962年1月12日[141][143] | 一般公募にて集まった作品を1961年12月19日に開催された佐久市議会定例会の議決で決定されて1962年1月12日に初代の市章として制定された[142][144] | |||
南佐久郡 | 臼田町 | 「うす」を図案化したもの[145] | 1963年11月1日[145] | |||
北佐久郡 | 浅科村 | (著作権存続) | 「ア」を図案化したもの[146] | 1966年12月13日[146] | ||
望月町 | 「モチ」を左右対称に並べて図案化したもの[147] | 1960年10月10日[148] | ||||
下伊那郡 | 上村 | 「上」を丸くし、全体は美しい大地から夢ある未来に向かって飛翔する村民の姿を現したもの[149][150] | 1997年4月1日[150] | 2005年10月1日 | 色は赤色(158)・青色(180)・緑色(178)が指定されている[149] 2代目の村章である | |
南信濃村 | 「み」を図案化し、赤石山脈・伊那山地の美しい山並みと伊那谷を力強く村に触れる様に表し、発展を象徴したもの[151][152] | 1975年9月3日[153][151] | ||||
南安曇郡 | 豊科町 | 「トヨ」を図案化したもの[154] | 1931年2月1日[154] | |||
穂高町 | 「ホ」を円形に図案化したもの[154] | 1963年10月29日[154] | ||||
三郷村 | (著作権存続) | 「み」を図案化し、三つの円を表したもの[154] | 1966年3月30日[154] | 1966年3月17日に公表され、本年3月30日に制定された[154] | ||
堀金村 | 「ホリ」を円形に図案化したもの[154] | 1965年4月1日[154] | ||||
東筑摩郡 | 明科町 | 「ア」を意匠化したもの[154] | 1964年9月21日[154] | 1964年9月17日に公表され、本年9月21日に制定された | ||
小県郡 | 長門町 | 「ながと」を図案化したもの[155] | 1966年9月30日[155] | |||
和田村 | 全田を丸としてかつ「わ」を図案化してから村の特徴である黒耀石の矢尻と山の表現に合わせたものであり、丸い部分は村民の団結と円満を現し村の発展を象徴したもの[155][156] | 1975年2月1日[155][156] | ||||
上水内郡 | 牟礼村 | 「ムレ」を図案化したもの[157] | 1956年6月29日[157] | |||
三水村 | 倉井用水・芋川用水・普光寺用水を図案化した[157] | 1988年2月22日[157] | 1926年12月26日から同年12月31日までに小学校の校章として制定されたものを[158]1988年2月22日に正式に村章として制定された[157] 当時の三水尋常高等小学校(現:飯綱町立三水第一小学校)教員のの前島孝作の作品である[158] | |||
東筑摩郡 | 坂井村 | 「サかい」・全体は「S」を図案化したものであり、真ん中の太線は「団結」・外側の円は「発展」を表したもの[159][160] | 1976年4月1日[161][159] | 2005年10月11日 | ||
坂北村 | 「さ」を図案化したもの[162] | 1973年11月[161] | ||||
本城村 | 「ホン」を図案化してから外円は城の石垣を表し団結と融和を意味し、「ン」の跳ねは発展・躍動・飛躍を表したもの[163] | 1978年10月9日[161][164] | 翌日の10月10日から施行される[164] | |||
木曽郡 | 木曽福島町 | 「キソフ」を表してから和を以て未来に向い飛躍して発展する姿を鳥の形に象徴したもの[165][166][167] | 1973年11月3日[168][165] | 2005年11月1日 | 1974年1月1日に告示される[167][166] | |
日義村 | 「ヒヨ」を組み合わせ「日義」を明快に表現し、全体を人情豊かな村民の融和団結を円形にしてから飛ぶ鳥にイメージして図案化したもの[167] | 1976年10月[169][167] | ||||
開田村 | 「カイ」を表してから図案化したもの[167][170] | 1975年8月15日[167][171] | ||||
三岳村 | 「み」を羽ばたく鳥の形に図案化し、村の飛躍・発展を象徴したもの[172][167][173] | 1972年5月1日[167][174][172] | ||||
北安曇郡 | 八坂村 | 「八」を簡易的に印象的に飛躍する二羽の鳥を想像し、表したもの[22] | 1973年11月28日[22] | 2006年1月1日 | ||
美麻村 | (著作権存続) | 「ミアサ」を図案化したもの[22] | 1974年10月1日[22] | |||
下伊那郡 | 浪合村 | 「ナミアイ」を図案化し、左側の弧が「ナ」・下部の重なる三角形が「ミ」・右側の弧が「ア」・中央上部が「イ」を表したもの[175][176] | 1978年6月25日[175] | |||
上田市 | サクラの花弁の真ん中に「上田」を丸くして図案化したもの[177] | 1950年11月1日[178][179] | 2006年3月6日 | 1919年から慣例として使用されたものを初代の上田市議会の議決を経て1950年11月1日に正式に制定された[178][179] 初代の市章である | ||
小県郡 | 丸子町 | 「コ」を丸く図案化したものであり、町民の融和と団結または両端の翼の形は町勢の飛躍発展を示したもの[178][180] | 1961年10月30日[178][180] | |||
真田町 | 全体は二重円の形を表しかつ「サナ」を真田氏の家紋である雁金紋の形に図案化したものであり、中側にある円の形は「和」・外側の円の形と真ん中にある横側の直線は「和」を貫きつつ融和・町勢の飛躍・伸び行く町の発展を表現したもの[178][181] | 1968年4月1日[178][181] | ||||
武石村 | 「武」を円形に図案化したものであり、同心円は村民の融和と団結を現してから太い直線は村勢の飛躍と発展を表徴したもの[178][182] | 1969年4月1日[178] | 1969年2月11日に広告化されて同年4月1日に制定された[182][178] | |||
伊那市 | 「イナ」を形造ったもの[183][184] | 1954年6月15日[185] | 2006年3月31日 | 1955年9月15日に再制定された[184] 初代の市章である | ||
上伊那郡 | 高遠町 | 「タ」を図案化したものであり、四方を山に囲まれた高遠城の城下町を表すと共に、新しい希望と限りない発展を意味し、躍進する町を象徴したもの[186][187] | 1966年10月1日[188][187] | 合併10周年を記念し、高遠町役場庁舎落成を記念し、1966年2月から募集を開始し、同年10月1日に制定された[187] | ||
長谷村 | 「ハセ」を図案化し、奥深き大自然に囲まれた村を表すと共に輝かしい希望と、逞しく発展することを意味し、躍進する村を象徴したもの[189][190][189] | 1965年10月22日[189][188][189] | 1965年8月に将来に村の発展を記念して一般公募で制定され、同年10月22日に村章規則が公布された[189] | |||
下伊那郡 | 清内路村 | 「セ」を円形に図案化し、飛躍する鳥を形成し、国道256号・黒川を表したもの[14] | 1969年2月11日[14] | 2009年3月31日 | ||
上水内郡 | 信州新町 | 「しん」を円形に図案化し、中央の突起は部分は飛騨山脈(北アルプス)と町民の進取の気性を表しもの[191][3] | 1954年10月16日[3][191] | 2010年1月1日 | 新町章として制定され、信州新町改称後に継承された | |
中条村 | 全体は虫倉山を表し、その中に「ナ」を図案化したもの[192][18] | 1968年11月3日[192][18] | ||||
東筑摩郡 | 波田町 | 「は」を図案化して飛騨山脈(北アルプス)の山々を表したものであり、円満な発展と呼び行く町を象徴したもの[193][18][194] | 1973年4月1日[18][193] | 2010年3月31日 | 町制施行を記念して一般公募にて集まった作品を町章選定委員会で審査した結果、1973年4月1日の単独町制施行日と同日に制定された[194] |
参考文献
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- ↑ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 図典 日本の市町村章 p119
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- ↑ 駒ヶ根市章制定について
- ↑ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 図典 日本の市町村章 p120
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- ↑ 旧・中野市例規集 中野市の市章
- ↑ a b c d e 大町市・八坂村・美麻村合併協議会の調整内容 慣行の取り扱い
- ↑ 都章道章府章県章市章のすべて p292
- ↑ 千曲市の市章
- ↑ 東御市の市章
- ↑ 安曇野市の市章
- ↑ 小海町公民館報 昭和36年12月1日号 p1
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- ↑ 川上村章、川上村制100年記念シンボルマーク、川上村イメージカラーに関する規程
- ↑ Cite error: Invalid
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- ↑ NHKふるさとデータブック p715
- ↑ a b 館報みなみまき 昭和45年10月25日号 p1
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- ↑ a b 南相木村公民館報 昭和36年12月1日号 p1
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- ↑ 長和町章
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- ↑ a b 広報やすおか 昭和48年2月20日号 p1
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- ↑ 喬木村誌 下巻 p126
- ↑ 村章
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- ↑ a b c 王滝村例規集 村章
- ↑ a b 村報王滝 昭和51年6月14日号 p8
- ↑ 広報おおくわ 昭和42年6月15日号 p1
- ↑ 大桑村誌 p833
- ↑ 木曽町の町章
- ↑ a b 麻績村章
- ↑ NHKふるさとデータブック p849
- ↑ a b 朝日村章
- ↑ 池田町町章制定条例
- ↑ 白馬村村旗
- ↑ a b 館報たかやま 昭和53年2月15日号 p2
- ↑ NHKふるさとデータブック p891
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- ↑ a b c 館報おがわ 昭和49年1月30日 p1 - p2
- ↑ a b 小川村誌 冒頭部分
- ↑ a b c 小川村例規集 村章
- ↑ 平成23年度 飯綱町統計資料 p4
- ↑ NHKふるさとデータブック p924
- ↑ 栄村のシンボル
- ↑ a b 都市の紋章:一名・自治体の徽章 p50
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- ↑ a b c 松尾村誌 p785
- ↑ 学校概要 - 飯田市立松尾小学校
- ↑ a b 長野市誌 p581
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- ↑ a b c 篠ノ井市勢要覧 1962
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- ↑ a b 1962若穂町要覧 目次部分
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- ↑ a b 上高井郡東村誌 p348
- ↑ 東村公民館報 昭和31年9月30日号
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- ↑ 安曇村村政要覧 昭和41年版
- ↑ 栄村公民館報 昭和33年10月15日号 p1
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- ↑ a b c d 鼎町勢要覧 1980 Cite error: Invalid
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tag; name "鼎町" defined multiple times with different content - ↑ a b かみやまだ 目次
- ↑ NHKふるさとデータブック p781
- ↑ 上郷町勢要覧 1987 裏紙
- ↑ a b 上郷町例規集 上郷町町章制定
- ↑ NHKふるさとデータブック p806
- ↑ a b c d e f 更埴市・戸倉町・上山田町合併協議会
- ↑ a b 更埴市の概要
- ↑ a b 上山田町例規集 町章の制定
- ↑ a b 戸倉町の歴史年表 p134
- ↑ a b c 戸倉町例規集 戸倉町章
- ↑ NHKふるさとデータブック p739
- ↑ a b 東部町・北御牧村合併協議会の調整内容 慣行の取扱いについて
- ↑ 北御牧村紹介
- ↑ a b 大岡村例規集 大岡村紋章
- ↑ a b c d e f g h 長野地域合併協議会 慣行の取り扱い
- ↑ 豊野町章 告示
- ↑ 戸隠村章 告示
- ↑ NHKふるさとデータブック p916
- ↑ a b 鬼無里村例規集 鬼無里村章
- ↑ a b 中津川市 - 旧・山口村
- ↑ a b c 佐久町例規集 町章
- ↑ a b c 佐久町・八千穂村合併協議会 慣行の取扱いについて
- ↑ a b 信毎年鑑1967年版 p174
- ↑ a b 松本市合併記念誌 松本市・四賀村・安曇村・奈川村・梓川村 p171
- ↑ a b 四賀村例規集 四賀村章
- ↑ 奈川村章
- ↑ a b c 松本西部合併協議会 住民憲章・シンボル
- ↑ NHKふるさとデータブック p861
- ↑ 安曇村誌 第三巻歴史 下 p143
- ↑ Cite error: Invalid
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- ↑ 安曇村誌 第三巻歴史 下 p138
- ↑ 安曇村誌 第三巻歴史 下 p139
- ↑ a b 梓川村民憲章
- ↑ 松本市合併記念誌 松本市・四賀村・安曇村・奈川村・梓川村 p174
- ↑ a b 豊田村例規集 豊田村村章
- ↑ 公民館報とよた 昭和32年5月20日号 p1
- ↑ a b c d e 楢川村村章 Cite error: Invalid
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tag; name "楢川村" defined multiple times with different content - ↑ 木曽 楢川村誌 資料 p3
- ↑ a b 都章道章府章県章市章のすべて p234
- ↑ a b 佐久市志 歴史編 (五) 現代 p181
- ↑ 旧・佐久市例規集 佐久市章制定の件
- ↑ 佐久市志 歴史年表 p421
- ↑ a b 臼田町の概要
- ↑ a b 浅科村は・・・
- ↑ 望月町の概要
- ↑ 望月町誌 別巻
- ↑ a b 上村例規集 上村村章条例
- ↑ a b 上村史 歴史編
- ↑ a b 南信濃村例規集 南信濃村村章
- ↑ 南信濃村のあらまし
- ↑ 南信濃村40年のあゆみ
- ↑ a b c d e f g h i j k 安曇野地域任意合併協議会 慣行の取り扱い
- ↑ a b c d 長門町・和田村合併協議会 慣行の取り扱い
- ↑ a b 和田村例規集 村章
- ↑ a b c d e 牟礼村・三水村合併協議会 慣行の取扱い
- ↑ a b 三水村百周年記念誌 p2
- ↑ a b 坂井村例規集 村章・村旗
- ↑ NHKふるさとデータブック p844
- ↑ a b c 本城村・坂北村・坂井村合併協議会 村民憲章、村章、村花、村木、村鳥、村歌等の取扱い
- ↑ NHKふるさとデータブック p839
- ↑ NHKふるさとデータブック p837
- ↑ a b 本城村例規集 本城村の村章及び村旗を制定する条例
- ↑ a b 広報きそふくしま 昭和48年12月1日号 p3
- ↑ a b 木曽福島町例規集 町章
- ↑ a b c d e f g h 木曽町合併協議会 慣行の取扱いに関すること
- ↑ 木曽福島町の概要
- ↑ 日義村例規集 日義村村章
- ↑ NHKふるさとデータブック p824
- ↑ 広報かいだ 昭和50年8月15日号 p2
- ↑ a b 三岳村例規集 村章
- ↑ 広報みたけ 昭和47年11月10日号
- ↑ 三岳村の紹介
- ↑ a b 阿智村・浪合村 任意合併協議会 第2回協議会 慣行の取扱い
- ↑ NHKふるさとデータブック p787
- ↑ 都章道章府章県章市章のすべて p287
- ↑ a b c d e f g h i 上田市・丸子町・真田町・武石村合併協議会 慣行の取り扱い
- ↑ a b 旧・上田市例規集 上田市の市章
- ↑ a b 丸子町例規集 丸子町の町章
- ↑ a b 真田町例規集 町章・町旗
- ↑ a b 武石村例規集 村章
- ↑ 伊那市の概要
- ↑ a b 都章道章府章県章市章のすべて p290
- ↑ 旧・伊那市例規集 伊那市のき章
- ↑ NHKふるさとデータブック p757
- ↑ a b c 高遠町例規集 高遠町町章制定の経緯
- ↑ a b Cite error: Invalid
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- ↑ a b c d e 長谷村例規集 長谷村章規則 Cite error: Invalid
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tag; name "長谷村" defined multiple times with different content - ↑ NHKふるさとデータブック p770
- ↑ a b 信州新町例規集 町章
- ↑ a b 中条村例規集 村章・村旗
- ↑ a b 波田町合併記念誌 まほろばのまち136年のあゆみ p4
- ↑ a b 波田町誌 歴史現代編 p1198