亜東印画輯/03
Jump to navigation
Jump to search
-
●嶗山(山東)
嶗山は古來支那名山の一つである。山高きにあらざるも巖石の怪奇を以て名高い。支那の岩石趣味は、山姿水容の大觀よりも變態畸形の異常性を愛玩するかに見江る。山に草木なきをいとはぬ、谿澗水の流れを見ざるも構はぬ。崢嶸に怪異なる處に彼等の山嶽美觀がある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●𧮾谷(山東)
嶗山に唯一の𧮾流の美を添へる白砂河の谿澗がある淸洌の水は花崗岩の岩肌を洗つて白い。 靑島經營の獨逸人は遊覽道路を拓いて北九水と稱する此𧮾谷に別墅などを建てゝ居る。胡藤の森の中に古い寺觀を眺むる景色も好い。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●白雲洞附近(山東)
類型的の構圖といふに過ぎない。併し■(山へんに畾)魁たる巖山の一角に斯ふしたこんもりした林間樹影を見出すことは、いかに嶗山を美化することか。 かなた𧮾谷を隔てゝ白雲洞の寺觀が見江る、淺黃色の寛服をまとふた道士と𧮾あひの小徑に出逢うふのも此邊の一情景である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●招牌[カンバン]の起原(山東)
人間の經濟行爲が 賣買といふ樣式にまで進んでから何千年を經過したか知らぬ。發賣するといふ意志表示は恐らく現物標識に始まつて、次に繩の輪を軒先に吊すことが招牌の起原をなすに至つたものであろう。支那の田舍には往々此の原始的な標識を發見するが、卷莨の空箱を添へたところも面白い。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●九水の部落(山東)
嶗山の山ふところに巢喰ふ九水の部落は櫻桃と梨の名所だ。 南向きの三稜形の屋根は規則正しく陳べられて、ありものの石垣で圍まれた景色の中にも、彼等の整然たる家族制度をもの語る。土地がないために山の傾斜面に階段風に畑を拓いたのも美しい。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●嶗山の山勢(山東)
嶗山の勝は山勢の雄なるに在る。崢嶸峨々として膠州灣頭を壓するところに此の山の生命が存するものである。 東瀛の水遠く海灣をつらねて朝暈落日の眺めによく靑島郊外唯一の遊覽地である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●胡藤の花薰る(山東)
嶗山遊覽道路は獨逸時代の遺物として、アカシヤ並樹にその景勝を今日に誇る。附近沃土に惠まれたる田園菜畝の豊かなる光景は、如何にも山東野菜の名産地としてうなづかせる。胡藤の花薰る初夏の朝を馬に籠鞍おいて嫁と姑が合乘りして行く有樣は、まさに一幅の平和鄕であらねばならぬ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●白雲洞(山東)
膠州灣頭に屹立して直下一千餘尺の山裾を波に洗はせて居る嶗山の日の出は實に雄渾なる景色だ。東北端に白雲洞がある。山名曆日を知らざる道士は自己の鶴髪と額の皺で歳の老ひゆくを察し乍ら、弟子を對手に將棋に餘念ない。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●膠州灣(山東)
嶗山から鳥瞰した膠州灣の眺めは、支那式に形容すれば蓋し天下の第一觀といひたいところ、遠景の山影は彩島岬と云ふ。眼下に連る長汀曲浦には波に洗はれる白砂がつゞいて、潮に冴江たる碧の海には帆影の去來を見る。日獨戰爭の際に日軍の上陸したところである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●筏の漁船(山東)
丸太や角材を中窪みに組み合せて波上に浮揚して居るだけの用意、波が入らうが出ようが自由自在、結局普通の船よりも安全であるところが取り柄である、これで帆もかければ櫓も用ゆるから面白い。嶗山の海邊の漁師が今でも之れを使用して渤海の波を征服し乍ら漁業に從事して居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●濟南の趵突泉(山東省)
濟南は泉の都である。城内七十有餘の湧泉があつて乾燥しがちな北方の街には珍らしく濕潤の氣を與へる 湧きあがる碧玉の如き水は、斷江ず翡翠の輪のような美しい波紋を描いて、小淸河の源をつくる。趵突泉と稱する有名な泉のほとり、水にちなんで龍王廟を祭る石橋の欄干に倚つて苦茗をすゝり乍ら、水態の美を樂しむのも半日の淸遊である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●泰山の轎(山東省)
泰山登りには轎はつきものだ。轎にも色々の種類があるらしいが、寫眞などは一風變つて居る。 一體支那の天秤棒はカーブを上に向けて擔ぐ、力學的に言へば日本の天秤棒のやうに肩に重點を集めることは不合理である、此の轎も同じ理屈で前後の擔ぐものゝ肩に重心を置かずに、乘るものゝ尻に重點を置くやうに棒をへの字型にした處に面白味がある。而してかくすることは彈動に依つて頗る乘心持も良い譯だ。支那人は古いだけに自然の合理性を心得て居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●泰山(山東省)
泰山はその山麓より南天門に續く間、巾約二間の石段が三千七百余所々に石疊みの足溜りがあつて谿谷を縫ふて絶頂迄續く。 二天門(又は中天門)に一息入れて倒三盤、快活三里等を過ぎると五太夫松の麓に出る。これから更に胸を突く石段をあへぎ(あへぎ)登らなければ絶頂に達する事が出來ない程の難路となる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●泰安府泰廟(山東省)
泰廟は泰山の神靈を祀つたもので、東嶽泰帝とも謂ふ、その規模の宏大なる事と、古い歷史を持つことに於て有名である、廟内にはいろ(いろ)の歷史遺蹟があるが尤も有名なものに環詠亭といふのがある、秦の始皇帝(今より二千三百余年前)が天下に六ヶ所自頌碑を立てたその一つである。西南隅に唐時代の槐樹が土壁で圍まれ枯れた儘に立つて居る。この千有余年前のこの巨樹の屍は怪奇な神秘感を象徵して居る (印畫の複製を嚴禁す) -
●大成殿(山東曲阜)
支那民族が生み出した世界の大聖孔子の遺芳は二千四百餘年を經た今日も尚ほ曲阜の大成殿に傳統されて社會人心を靈化して居る。聖廟の建築は元代の作で實に崇高雄大好く孔子の人格を偲ばしむるに足りる。 前廊に立ち列べる十本の大石柱は直徑二尺餘の大圓柱に悉く精巧雄麗なる蟠龍の彫刻が施されて居る。その彫りの深さ三寸五分の高彫で鱗甲、渦雲、沫濤の形態は皆な躍動して神にせまるものがある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●大明湖(山東省濟南)
濟南を訪ふもの、先づ大明湖に畫舫を泛べてその景勝をさぐる。湖中の歷下亭(杜甫嘆詠の故趾)滙泉寺、張公祠、北極廟、鐵公祠、李公祠(李鴻章の祠)がそれ(ぞれ)の風趣を備へて訪客を待つて居る。この湖上點景を訪ふにふさはしい畫舫は、日本の屋形船で、大なるは二十人乘りの二階立造り等がある。四方は色硝子を使つて扁額を掲げ支那式の濃厚な色彩が施されて居る (印畫の複製を嚴禁す) -
●洗濯(山東にて)
春聯が色褪せて來る頃、翠色は急に■(「氵」の横に「牙」)江て水邊はおのづから誘惑する。井戸端會議の言葉がある程、由來水と女はつきものだ。いささかの濁り江に集まる洗濯の群も、作業の勞苦よりも寧ろ饒舌の興味が主となつてゐる。殊に垂れ籠め勝ちの支那婦人にとつてはピクニツク位の愉快さが伴ふらしい。さてこそ村の噂さはここを中心として疳高い饒舌にラヂオよりも早く傳はる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●歸り道(山東にて)
僅かな利潤を日用品に替へて町から歸る父の顔には言ひ知れない微笑が浮く、迎ひに出た愛兒と飼犬が無邪氣にまといつく。この自然に溶け入るような純粋な幸福もそれはほんの瞬間に許された喜びだ。脊後には打ち續く戰爭に搾取される丈け搾取された殘滓の極貧生活が陰惨にひかへてゐる。革命的な社會轉機が案外こんな土着の農民階級の忍從のうちに信仰のように根強く醞醸されてゐるかも知れない。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●水煙管(濟南にて)
巻煙草の一本買をする程零細な金の單位に安住される支那商民の生活は幸福だと言はねばならぬ。路傍に開いた煙草店の爺さん商賣の暇に水煙草の一服にも天下の泰平を謳歌する趣がある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
要入力
-
●北響堂山の第二窟(1)(河南省)
響堂には南北二山あり、直隷省磁州にあるは南にして、河南省武安縣にあるものを北といふ。共に北齊時代に開鑿された石窟である。 端麗なる釋尊の坐像は北齊藝術の代表的なもので、衣紋の襞線、背光内の忍冬模樣の巧緻なる、觀るものをして恍惚たらしむ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●南響堂山の全景(直隷省)
直隷省磁州の南響堂山は北齊時代の佛敎遺跡として有數の石窟である。磁州窯で名高い彭城鎭の北ほど近き所、山砦を想はすやうな寺觀の下構、古色蒼然たる七層の塼塔で直ちにそれと知られる。窟内二層に開鑿せられ上下七洞あり、洞中無數の佛像は一千四百年前の北齊藝術の香を偲ばしむるものがある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●南響堂山下段窟第一窟の仙龕(直隷省)
下段右方窟の南壁に刻されたる佛龕は、パコダ型のもので塔屋の模樣は北齊時代の特徴を有し、左右に引き張られたる風鐸は支那固有のものである。均整にして華麗の感を與ふるは來るべき随唐藝術の前驅を物語るものである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●北響堂山第二窟(2)(河南省)
第二窟内一對の菩薩像の一體で甚だしく破壞されて居る。取殘された反面の顔貌に依つてわづかに當時の雄麗なる面影を傳へて居る。衣紋、瓔珞の装飾は如何にも精妙の手法である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●北響堂山第二窟(3)(河南省)
洞内の支提塔基部の彫刻にして、後世の補彩に依り著しく原型を惡化して居るが、尚ほ自由にして豊麗なる鑿痕は北齊趣味を語るもの、未だ眞實味を離れざるところに生命を湛へて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●南響堂山の中段窟(直隷省)
此の窟の内外には各時代の銘が澤山雋刻されて居る中央洞窟の左方に勒されたものは明の張應登の詩にして、隋朝開皇の創建とされて居る。巖扉松徑風長掃。礀戸雲窩鶴舊樓。響石鏗々金鼓動。光天燦々斗宿低。幽人煉藥如相訪。の句がある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●北響堂山第一窟(河南省)
龕の周邊を圍む飛天並に文樣に特色を有するものである。垂帛模樣は古くから採用されたものであるが、上部の草花模樣は北齊時代に發端して特に支那趣味を加へて來て居る。模樣化された飛天並に左右兩邊の瓔珞型の紐も面白い装飾である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●支提塔支ふる怪獸(北響堂山第三窟)(河南省)
人體頭獸の怪物は獅子の變化されたもので、支那固有のものと言ふよりは、東歐から中央亞細亞を經て輸入されたものとして見る時、頗る興味深い圖案である (印畫の複製を嚴禁す) -
●南響堂山下段窟第二窟の本尊佛(直隸省)
下段左方窟に彫鑿せられたる本尊佛は雄勁の手法である。頭光の化佛飛天の構圖も亦頗を富麗の感を與へる。洞中の壁面に勒せられた般若經の大字は書風悠揚にして迫らず巧力兼ね備はるものとされて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●北響堂山第三窟(河南省)
第三窟大佛洞内の龕上部の忍冬模樣は最も新しい手法の變化で、此の時代の特徴を語るものである。 響堂山の龕の基底兩側に彫られたる一種の怪獸は希臘風の趣味を傳へる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●開城市街(朝鮮)
開城は高麗五百年の榮華の夢を語る舊都である。今は人參の産地として名高い。街頭のカツ衣を頭から羽織つた婦人の姿は如何にも古典的な雅趣を與へる。朝鮮は男の冠帽と女のカツ衣姿で吾々の時代から未だ五百年の遅れを見せて居るかに感ずる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●水汲み(朝鮮)
洗濯が彼らの生命でゝもあるかのやうに、年中井戸端から離れ得ない鮮婦の水汲み姿は、また一種のロマンティツクな郷土氣分である。手ずれに綺麗な光を放つ素燒の水甕が頭に載せられて運ばれ行く恰好は如何にも原始的で典雅だ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●水原城外(朝鮮)
遠く望めば木茸の如く、近く望めばニホの如きが朝鮮農家の草茸屋根である。凹字形に軒の低い押しつぶされたやうな壁の中には溫突が焚かれて、ヨボの群れはその中にうごめく。近くの水原は山紫水明のところ今はこゝに模範農事試驗場が設けられて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●玉泉庵の白佛(朝鮮京城郊外)
玉泉庵の白佛は新羅王以來、北漢山城塞の守備に當つた寺觀の中、藏義寺の境内にあつたもので、後年李太王の時代に白堊に塗替へたものゝ如くに傳へられる。自然石に彫刻された半身の觀世音で、朝鮮型の美人相を如何にもよく表現して居るので有名だ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●パゴダ公園の塔(朝鮮京城)
今より約五百年前第七世世祖大王が廢寺興福寺の舊基に一大寺を建立して大圓覺寺と名づけた。その時支那から呼寄せた工人が造つたものに此の大理石の十三重塔がある。現に頭部四塔が側方に取降されて居るのは、昔文錄役の際加藤淸正が内地に持行かんとして果さなかつたものだとの俗説がある。パゴダは外人の命名したもので塔の意味である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●白麻を乾す村(朝鮮京城郊外)
鮮人の着る白衣は夏になれば大底麻に替はる。晒された白麻の長ものは夏の日に綠草の上に乾かされる。夜此の近くの部落から遠く近く砧の音の聞江て來るのは此の麻を打つ音だ。ポプラーの林に風の音冴江て、漢山に落月を眺むる頃、砧を聞くは一種の悲愴を覺江る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●北漢山の砂防工事(朝鮮京城郊外)
京城は南山と北漢山に挟まれた摺鉢のやうな盆地に出來た街である。松林を覆ふた南山は女性的であるに反し、北漢山は頗る男性的な山である。此の山の花崗岩が風雨に依つて崩流するので山の中腹から階段を作つて大規模の防砂工事が施されて居る。山の斜面がダンダラに仕切られて町へ迫る光景は一種の奇觀である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●大道易斷(朝鮮)
街頭の哲學者賣卜先生は、町の■(石に甫)石の上に陣取つて恭しく李朝傳來の粗髯をすごいて居る。冠帽と喪(下が衣)帽の菅笠と中折帽とは各時代思想を表示するかのやうに陰陽五行の虎の巻に眼を集めて己が運命を地上に占つて居る。背景の建物や町の景色は近代的な丈け、白衣の鮮人とは別々の方面に歩いて居る心地がする。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●昌慶苑にて(朝鮮京城)
昌慶苑は昔李朝太祖の造營した壽康宮のあつた處で李王家代々の離宮である。宮闕林泉の配置頗る華麗、苑内翠綠の間に今は大規模の動植物園を附屬した李王家博物館があつて、一般に公開されて居る。冠帽白衣の鮮人長煙管を片手に苑内を悠歩逍遙する樣、いかにも太古の趣がある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●京城郊外(朝鮮)
京城郊外の朝まだき、露にぬれた街道には塵埃の氣なくして淸々しい。朝霧につゝまれたる北漢山の姿は、未だ見はてぬ夢の境にあるかのよう。犢索く白衣の旅人は三度笠肩までかついで、今日も亦町の市場へと急ぐのである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●刈穫リ(南滿金福沿線)
秋の刈穫りはどこでも活氣と歡びに滿ちて居る。黃玉の色美しい唐玉黍の山は百姓にとつては半歳の努力の結果である。來ん冬のために人も馬も忙しく、暮れゆく秋の一日を營々として働くさまは、心豊かなる平和の情趣である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●貔子窩海岸(南滿金福沿線)
貔子窩の街は常に海賊の來襲に脅威される。長山列島の島影にかくれて潮と風との加減を見計らつておし寄せるには恰好の處だ。干潮の時には沖合一里も干瀉地を現出して、坐洲した船は泥の上を帆をかけ乍ら滑らして來るのも呑氣な光景である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●鹽田(南滿金福沿線貔子窩)
一眸幾里を見わたす貔子窩の鹽田は、朝夕の潮の滿干にその眺めは變る。朝靄立ちこむる中に、遙か潮汲み上る風車の隱顯するも趣深い。赤い夕陽の潮水と相映じて天地から紅に染彩されるも壯觀である。かくて天日は日々に、陽炎燃ゆる田毎の作業に鹽は産出される。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●城子■(田に童)の街(南滿金福沿線)
城子■(田に童)は關東州境に建設された唯一の街である。碧流河の支流は上げ潮と共に戎克を浮べて、水運の便を供して居る。目に見へぬ日支の相異した政治圏の種々なる錯綜した關係は、州境を中心として常に演ぜられる。金福線の終点として將來異條なる發展を豫想される地方で、日本の租借地防備の第一線の布かれて居る處である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●碧流河々口(南滿金福沿線)
碧流河の河口、潮滿ち來れば島影を沒し、潮引き去れば、陸影を現はす。河は白蛇の如く逶蛇として草原を縫ひ、向ひは關東州外の復州縣内となる。州境常に草賊の跋扈を見るも、此の自然の地物が餘りに兒戯の如き政治線であるからだ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●永安台の望台(南滿金福沿線)
金福線の夾心子驛近く賛子河の流れがある。此邊から見渡す高粱畑の彼方、永安台の望台は明朝の頃倭寇に備へた史跡として名高い。蓋し當時東海の男の子等が万里の波濤を超江て韓滿の邊境を脅かし、新日本を建設せんとした紀念塔である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●秋影(南滿撫順附近にて)
秋水は野に流れ、川の面は空の色を吸ふてコバルトに靑い。赭土の岸邊に今日は赤い裳すその洗濯女もなくて小舟のみ長閑かに橫はる。白菜を洗ふ百姓の黑き手に、白き柔肌の水々しい菜の束が、水浴のニンフの如く渚に轉がるところ秋の影深し。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●亮甲店のドルメン(南滿金福沿線)
關東州内普蘭店の近く亮甲店の部落に、古代民族の遺跡としてドルメンがある。村民はこれを大石棚と名け尊崇の對象として居る。ドルメンは考古學上新石器時代の遺物として、古代民族の墳墓なりと説明されるもの、州内にこれが存在を發見したことは頗る珍奇なりと謂ふべきである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●曠原の秋(南滿金福沿線)
カサコソと散りゆく落葉の森に、陽あし斜に射して曠原の秋は飽まで高い。高粱収穫後の畑はすでに來春のために鋤返されて、緬羊の群れは長閑なる野良に己が餌を漁る。滿洲の秋はわれ等の平和なる樂土にふさわしい構圖であらねばならぬ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●植民する苦力群(南滿撫順附近にて)
北へ流るゝ苦力の群れ、胡砂吹く風の此頃を、何處を指して行くのであろう。彼等の鄕里は打つゞく擾亂に一日の安息もなく、塗炭の苦をからくも滿蒙にのがれ來たれる一族の老幼は、汽車に乘る路銀もなければ一介の荷物を背に、乳呑兒をふところに抱いて、トボ(トボ)と幾十日の行旅を北満の植民地へと歩いて行く。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●燕麥の畑(山西省)
燕麥の穗は秋の陽にうれて野の空氣に快き香を送る天高く氣澄み肥馬しきりに嘶く。畦畔の斷層をそのまゝ自然の懸崖に、野菊の咲ける光景も秋の姿である。馬上の人心なくして唄ふ歌は山西なまりの秋風來である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●曲陽附近の溝道(山西省)
一路の溝道はまた降雨に際しての水路である。兩側の黃土層は幾十丈の斷崖を築いて數里の間を切通す、偉大なるは自然の力だ。爪先上りの角度に蜿々として續く溝道の馬車は輕い黄塵を上げて畫面の眞ん中に力強い生動を與へる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●土雨の降る地(山西省)
山西は黄帝の故土、禹の生地として傳へられる。むかし霾(土雨)の被害に惱める土地として土木治水のため古來から禹の如き物の出たのも當然であらう。陝西の境を流れる大黃河の水にも黄土の國の面影を傳へて山も水も總て黃化し盡さずば已まない。黃褐色に彩られたる高原の耕地は到るところダンダラに整地されて異常なる光景を呈する。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●黃土の國(山西省)
黃土の國は蒼古として人も馬も原始のまゝに動く。溝道の中に見出されるアーチ型の關門は、昔桃太郎が鬼が島征伐に行つた時からのやうな色で人を威壓して居る。毛帽の馬夫長鞭を鳴らしながら悠々烟草をくゆらしゆくも閑寂なる山國の情景である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●溝道中のある構圖(山西省)
秋陽の斜光は溝道の曲折に或る諧調を與へて黃土を美化する。山西の旅には幾度か黃土の切通を過ぎたが閣子嶺附近の此の景色位カメラ氏を誘惑したことはない。溝道のカーブにヒヨツコリと出喰はした驢先生の姿は此の場合たしかに靜中の動でなければならぬ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●五臺縣城外(山西省)
風の日の五臺縣城は黃塵の輕い霧につゝまれて黃色にかすむ。■(髟の下に粗)松な地肌を現はした黃土の斷層に紅葉せる矮樹の生江出てたる姿は老女の化粧したやうにもの凄い。眼下の菜園には正しき畝を作つて韮の葉が靑く延びて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●五臺縣城(山西省)
一万二千五百呎の標高を有する五臺の峻嶺は西南に廣大なる山裾を引いて、縣城の頭上に威カツに差迫つて居る。山の斜面に築かれた城壁の高さ幾十丈、雛段式に築き上げられたるところ頗る奇觀だ。左方黃土の斷崖にはみ出でたる城外の部落は楡の林に圍まれて美しい。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●冬近き五臺連峰(山西省)
五臺連峰の空は怪しき雪雲を漂はして冬の近きを知る。豆鎭嶺の谿谷に展開したる黄土の耕地は階段風に高低參差して異樣の景觀である。たま(たま)一群の鴻雁東より西に渡り去れば、高原の晩秋は淋しともまた淋しい。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●五臺山途上(山西省)
黃褐色の山は何處までも續く。一万二千五百呎の五臺山の高峰は眉間に迫つて來る。途は羊膓として黄土の谿べりを傳ふて雲霧の中に消江て行く。素燒のやうな山肌のところ(どころ)に高山植物のやうな秋草が薰つて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●黃土の斷崖(山西省)
黃褐色の斷崖は幾百丈の高さに屏風のやうに立つ。その中腹を傳ふて危くも通ずる一線の道路は、遠く之れを望めば恰も素燒のつぎ目のやうに見江る。その處をトボ(トボ)と辿る擔荷の驢馬と樵夫の姿は一種の生きた畫彩であらねばならぬ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●山路ゆく雲水(山西省五台山)
高嶺を包める曉霧は朝の光のさし上るにつれて、峰巒の姿態を刻々に變化す。麓の宿坊から登り來れる二人の雲水は六根淸淨の金剛杖をたよりに南台の奥の院さして歩を運ぶ。山の精の如き二つの靈魂は廓寥たる秋霜の山路を默々として辿り行く。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●南台の落日(山西省五台山)
天空にそゝり立つ五台の峯巒は、波状の嶺頂を僅かに雲海の間に現はして、下界との境線は全く沫殺されて了つたかに見ゆる。その時恰も風雪を孕める暗雲の大緞帳は橫に切れて西方雁門關の彼方に沈みゆく落日の光は紅の脚光の如く山頂を照らして物凄い光景を現出する。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●金閣嶺(山西省)
德淸詩 袛園傑閣境淸虛 布盡黃金計不疎 山指岳蓮膽玉氣 地從塵海入空居 靑天有客乘鴻鵠 白社何人揭梵書 萬里風烟仍擊目 不堪登眺轉愁豫 (印畫の複製を嚴禁す) -
●五台の靈場めぐり(山西省五台山)
五台は五山、五嶽のなぞら江た支那の靈山である。高原のお花畑けは千ぐさに亂るゝ秋草に依つて美しく彩られる。彼方北台の山襞には白骨の如き雪溜りを見乍ら五台の登山者は峯つづき中東西南北五台の靈跡を探る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●北台途上(山西省五台山)
孫孜詩 策杖登層嶺 攀蘿上極巓 深林迷白日 古澗落寒泉 四望山川盡 平臨星斗懸 不須求羽化 際此是登仙 (印畫の複製を嚴禁す) -
●豆鎭嶺の峠(山西省)
九十九折に山腹を匍ふ豆鎭嶺越江の急坂は、迫り來る眉間に五台の連峯を仰ぎながら、何百年來の道者修行の峠を登る。ふり返つて山麓を俯瞰すれば五台縣城は掌大の部落として黃土高原の中に見出される。峠の彼方は大佛光寺への途となる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●五台の氣象(山西省五台山)
淸凉志に五台の氣象の變化の恐ろしきを錄して居る風雲雷雨、出自半麓、有時下方驟雨、其上曝晴、四方雲氣、每歸朝而宿泊焉、葢龍帝之宮也、時或猛風怒雷令人悚怖と、一萬二千餘尺の五台連峯の氣象の複雜なる光景を窺知せしむるに足る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●北台の異象(山西省五台山)
北台の別稱に叶斗峯の名がある。四季常に天象の異變激しく山上の光景千變萬化する。西陵丘坦の詩に 一片黃砂起 山川總不分 滿空飛亂石 四谷合烏雲 莫是龍王怒 疑從虎口開 春光已三月 猶白雪粉々 (印畫の複製を嚴禁す) -
●北台の秋晴れ(山西省五台山)
北台の頂上からは東方遙かに海を望むと稱せられる冬近き秋の山路には未だ咲き殘る高山植物の花が香ふ嶺上に馬を立てたる登山者は秋空に鞭を響かせて、寂寞の世界に切りに悲情を唆る。空靈の感に堪江ざるの境地だ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●中台の雪景(山西省五台山)
中台の一名を翠巖峯とも呼ぶ。南方晋陽を眺め、北沙塞を望む。九月已に山上の大風雪に遭逢してカメラ氏此の収獲をもたらしたもの、雄渾崇麓眞に五台の代表景である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
-
●土窟内の馬槽(山西省)
店の厩には必ず堀つけの馬槽がある。トンネル風に無雜作に堀鑿された洞窟の片側には必要に應じて馬槽が用意される。如何にも簡單で原始的だ。洞窟の中からアノ感傷的な驢馬の鳴く聲を想像するだけでも穴居部落の特異な氣分が窺はれる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●穴居の客室(山西省)
穴居部落の街道には黃土の輕塵を上げて、秋の日は觀音開きの櫺子窓からあか(あか)と部屋の中まで差し込む。アンペラ敷の客室に陣取つた老掌櫃、息子の嫁取りにも此の部屋で祝言さしたのだとニツコリ笑ひ乍ら逆光線のポウヅに入ゐる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●美しい黃土の斷面(山西省)
黃土の斷層は南の陽をうけて、ある紋樣のやうに壁面に縮緬皺を殘して自然に技巧される。 原始の人間は生活の本能に基いて必要と適應からその壁面に穴を穿つて自己の安住の場所を作る。それ以來爰に幾千年を經過して河南、山西、陜西の黃土地帶には今に尚ほ約百三十萬人の穴居生活者を存す。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●土窟の我が家へ(山西省)
短い秋の陽は西に廻つて夕暮に近き溝道の片側は冷い䕃で黑い。 客を送つてのカマボコ馬車は一瓶の土酒を町から購ひ求めて土窟の我が家へと急ぐ。奶々はやがて燈心の豆ランプを灯して夫の歸りを待つことであらう。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●お噺の世界へ(山西省)
土窟は總て橫穴式で大抵は二室位に仕切られる。障子窓にさした日の光は黃土の壁をほのかに明るくして室内の空氣は永遠の平和と安らかさとを與へて。飽までも靜寂の感觸である。 壁の眞中に無雜作に四角の穴を穿てるは神を祭る棚で、簾の垂れたる戸口から外をのぞく二人の兒達の姿もお噺の國の感じだ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●簡單なる靜物(山西省)
部屋の天床はアーチ型にくり上つて、入口から突當りの壁には家財道具を陳べて置く棚が無雜作に拵へられる、蒸物用の笟、天秤衡などをぶらさげた壁をバツクに燈心ランプ、茶碗、皿の一群を靜物の構圖として、穴居生活者のシンプルライフを示す。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●宿場の光景(山西省)
曲陽の郊外、野と町と交錯した氣分のところに驛路の店(旅宿)がある。左アーチ型の出入口を見せたところは謂ふまでもなく客室で、右側の大きい洞穴は厩だ。店の廣場には今し荷を下した驢馬の二三頭、今宵穴の中での休養を樂しむかのやうに心安さを見せてゐるのも宿場の光景であらねばならぬ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●層階の土窟(山西省)
磚を積んだ上層への階段から左方の上下二層の土窟は黃土の風化を示して如何にも原始的廢墟を思はせ、右方洞窟の前に轆轤井の側ら一本の棗の木を見せたところシヤバンヌの繒のやうな構圖だ。飽迄も東洋的で如何にもブレミチーブの氛圍氣の中に哀愁の快感が自ら湧く。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●装飾化した入口(山西省)
土の中に生れ土の中に死ぬ土窟生活者には自ら特異の思考と感情とがなければならぬ。土に祝福された彼等の原始感情の表現は、直接に先づその建築と歌謠の上に表はされるであらう。入口や窻の樣式は兎に角に彼等の藝術(?)でもあらうか、蓮瓣風の出入口に簾を下したのも古典的だ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●秋の共同作業場(山西省)
穴居の村は平和の象徵のやうに前庭屋上共に樹木に圍まれて綠の䕃を作る。次第に殖江てゆく子孫の數は二層の住居を必要とする程に家族は增す。土階の段々を適度に設けて斜に登る上層への通路も自然に、さながら一群のアパートメントハウスを示す。 屋上は直ちに燕麥畑の平野、秋の収穫には前庭の共同作業場は賑ふ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●岳中の街楊林街(山西省五台山)
五台山は、山岳崇拜と文殊菩薩常在の傳説と絡み合つて、漢代より興り歷朝の保護の許に續いて大土木起り廣汎な一大靈塲を現出した。楊林街はこの靈塲の生命的中心地として本山格大顯通寺、菩薩頂、大塔院と外堂舎高塔で埋まり常に名僧大德の道塲であつたが、現今は喇嘛、道敎と入るを拒まず、宛然無自覺な現支那の宗敎趨勢の縮圖を示して居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●楊林街の朝(山西省五台山)
楊林街は五台山の心臟であり唯一の岳中の街である菩薩頂を中心にして寺街下町と順序に構成されてゐるその下町の朝ぼらけである。 法境の幽寂な夜が梵鐘の響きと讀經とに覺める頃、この下町は美しい佛畫佛具の土産物店頭の色の交錯と豚料理のいどむような臭ひとに明ける。 炊煙一條、錫杖の音に法悦を欣求して五台巡りの朝立ちの道者達に法界と俗界とを仕切るが如く、昨夜の夢を引いて靜かに棚引く。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●大顯通寺境内(山西省五台山)
鍍金せる銅の萬佛塔は燦然として迷宮の如き廣大なる境内に輝き、大顯通寺の古い歷史に靈彩を加へる。 後魏の時孝文帝の再建に係る大孚靈鷲寺十二院中の善住院が現在の顯通寺で、五台百ケ寺の總本山としてその規模雄大、一山を壓するの慨がある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●神さんの芝居見物(五台山中所見)
肩から吊られた台座に端座して、眞紅の外出着で納まりかへつた龍王神の土偶は、隣り山の龍王神から觀劇の御招待とあつて、もの(もの)しい行列を作つてお芝居行きの光景である。 神様を土民の日常生活の慾望程度に取扱つてゐるところに、文明から遠ざかつたものゝ荒唐的な土俗の興味が窺はれる。銅羅を仰いて土民のその眞顔さよ、宛ら古典劇の實演を見てゐる心地だ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●懷しの樓門よ(山西省五台山)
閣子嶺頂の眞武閣は、越せば五台の淨土、戻れば人里縣城と、この聖淨な法土をしきる古い樓關である。 唐初既に日本の僧侶も往來し、印度西域の文化は將來されてこの樓門の奥深く亞細亞の佛敎聯盟は感激に滿ちて行はれた。 眞里の欣求の前に捨身した高僧大德も感慨に滿ちた瞳を放つて幾度かこの樓門を仰ひだことだろう。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●大佛光寺の經幢(山西省五台山)
五台山は唐の盛時一山燦として佛敎藝術の王國であつたことは史實に明かである。而して日本、朝鮮、印度西域地方とその波紋は大きく五台を中心として凡ての文化が吸収放射されたかの感があつた。この大佛光寺の尊勝陀羅尼經幢はわずかに煙滅をまぬがれた當時の佛敎藝術の眞骨を示すものとして少ない古遺物の一だ (印畫の複製を嚴禁す) -
●僧侶の内職(山西省五台山)
秋の薄日に背をまるめて、僧は内職の陶物製作に余念がない。今末法の五台山にも、尚こうした好ましき僧房生活の藝術的半面がある。 馬糞と粘土を混じて造つた火爐子の上に、西臟秘境にはぐくまれた喇嘛敎藝術の怪奇な幻想が、再び白日夢のように複活するのを見る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●俗化し行く楊林街(山西省五台山)
海抜六千尺の高地、その周圍に五台の連巒が聳立して磨鉢の底のやうな楊林街は五台巡錫者が一度は必ず落着くところだ。淸朝以來喇嘛敎の侵入はこの町にもかなり蒙古人の居住者を送つて夏は蒙古人の避暑客で非常に賑ひを呈す。靈光仙氣の山中、唯一の俗情の人里だ。峪間の町は坂が多い、ひよつこり辻々で出會す旅人の群もこの町らしい氣分だ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●楊林街附近の景勝(山西省五台山)
天空を横切る北台の山並は年中氷雪を頂いて法土の象徵の如く輝くところ、さゝやかな喇嘛廟は配置よき樹間に點在していかにも寺境らしき景觀をつくる。楊林街第一の景勝である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●由緖深き淸凉寺(山西省五台山)
淸凉寺は唐宋代皆僧正司を設けられ、五台百ケ寺中でも由緖ある名刹であつた。 後嶺前峯迭送迎。景多目眩亂吟情。 靑山影裏僧家住。綠樹陰中客騎行。 流水洗心塵垢淨。凉風吹鬢(下は濵のつくり)夢魂淸。 山高已見諸天近。明日登臨見化城。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●架屋子(山西省所見)
前後二頭の馬に左右兩脇に二本の棒が架せられる。而して横に網のやうに繩を張渡してその上に敷物が置かれて、アンペラが屋根のやうに無雜作にかけられると客と荷物がその中に安置される。之れが山西の山路を旅する時の架屋子と稱する交通機關で、馬脊寢たまゝ山の坂路を越ゆるのである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●童子寺の燃燈石塔(山西省)
燃燈石塔は俗に石燈籠の事で日本の築庭にはなくてならないものになつて居る。謂ふまでもなく支那から傳來したものであるが、本源の支那では容易に見出されない。童子寺の燃燈は古いものとしては隨一の型で頗る珍重されて居る。高さ一丈六尺、千三百餘年の風雨に曝されたその自然の恰好に値打がある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●明礬製造場(山西省)
天龍の谿谷を辿つて古唐村からの登山路に到るところ自然の明礬の川が流れて居る。此の川水を汲み取つて明礬の製造所が諸所に存在する。此の又製造場は河畔に石炭の堀出されるところでなければならないので沿岸ところ(ところ)に廢止された製造場の家屋の見出されるのも山西の産業を物語るものとして面白い光景だ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●道敎の石窟(山西省)
龍山に在る道敎の石窟は如何にも山西らしい遺跡だ南宋の晩年に道敎全眞敎の學者宋披雲の開鑿したもので昊上觀と稱して居る。道像と佛像とを比較すると何んといつても菩薩や如來には西域や印度の來外趣味があるが、道像の手法には支那本來の面影をとゞめて居る。此の太上老君は彫刻としても傑作の一つだ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●明礬の川(山西省)
山西の山河は之れを風景美の方面から觀ても一種特殊なる景觀であるが、此の山と河には又山西特有の産物を藏有する。到るところの無煙炭、或は鐵鑛、或は明礬の川等々、一石一水すべて冨の結晶であるかのやうに見江る。未だ山西の産業は原始的な狀態ではあるが、之れが近代文化に利用さるゝ日が來たならば恐らく世界の驚異であらう。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●天龍のラマ塔(山西省)
天龍の石窟は支那佛敎史跡中特種の地位を保つものである。大同雲岡の石窟は北魏の藝術を傳へ、天龍の石窟は隋唐時代の代表龍門に移る過度時代をもの語る北齊藝術を藏することに於て有名である。峽峪の間に嘛喇塔をのぞんで山徑を辿れば天龍寺の洞窟は、佛跡巡禮の喝仰者を力強く引き寄せる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●童子寺の遺跡(山西省)
古來山西の山河は名僧知識を生んだ、從つて山西には到るところ古刹名寺が在る。北齊時代の佛跡として童子寺もその一つだ。此寺の綠起に二童子が山中の大石を刻んで、百七十尺の大佛像を鐫上げたといふ傳説がある。今は此の大石佛も自然の風化に跡形もなく消滅して居るが、當時の脇佛であつたろうと想像される菩薩の一体が中空の岩壁に殘つて見上げられる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●天龍附近の景(山西省)
天龍附近は樹木が多いので昔の箱根越江のやうな趣がある。ところ(どころ)巖石は風化して山中小砂漠を現出する。名も知れぬ禽鳥切りに前路に囀て幽𨗉の境太古の心で此の山を越した。山西を脱出する落人の心には行衛を知らぬ山路の彼方に、明日をも期しがたき旅の思ひを泌み(じみ)と味つた。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●龍泉關の谿谷(山西省)
平家の落人のやうな恰好で龍泉關の間道を直隷へと脱出を企てたカメラ子は、到るところ思はざる幽境美景に接することを得た。九十九折にも似た山峽の小徑を傳ふて一谿を送れば一山を迎ふるといふ狀態、人も馬も綿のやうに疲れて、京漢線に出るまで七日の日子を費やしたのでもその勞苦は察せられる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●山西脱出の間道(山西省)
南から北に走つた大行山脈の大隆起は龍泉關附近に至つて僅かに直隷高原の近きを思はしめる。石灰岩の山また山の層嶽の間を遙か脚底の彼方に谿水の響を聞き乍ら山水の景觀を眺めると小三峽の趣きがある。太原に閉ぢ込められた日誰れか此の間道を夢見やうか山西脱出に際して思出の深き景色の一つである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●横町の怪異(香港)
裏町や横町の怪異性は何處の都市につきものゝ一つで、無くてならない近代人の現實暴露だ。香港クインス・ロードのとある横町の一光景として、兩側の建物にさしかけられた洗濯ものゝ谷渡しは、長家生活者の一斷面を示すもので、探ぐつて見れば此横町は洗濯婆さんの巢窟であることが知れた。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●ケーブルカー(香港)
香港のケーブルカーも隨分古いものだが確かに名物たるを失はない。ビクトリア山の頂上に近く急斜面二哩の距離を上下して居る。車窓から展望する眼下の景色の變化は實に爽快を極めて居る。紺碧の海、淸楚な山上の住宅、柔かい綠の芝生、重なり合ふ山麓の市街など熱帶植物の樹間から隱見される。夏季山上と山下に於て溫度十五六度の差があると謂はれる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●常夏の都(香港)
香港の二月はゴムの樹が繁り、バナヽの實が熟れる常夏の風情である。蛇紋樹の茂みから見下ろす眼下の景色は鯉門水道であつて、山の斜面に築かれた市街は種類の違つた屋根また屋根の層を作つて全市は美しい構圖を見せる。一夜假泊した舷側から眺めた夜景は蓋し忘れられぬ印象を與へる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●支那人街の雜沓(香港)
四角四面の形式嫌ひな支那人は押しあいへし合ふ無秩序の世界に雜然として生活することを喜ぶ。彼等の自然主義は政治や法律や統制を好まぬ。西洋文明を飾る香港の裏町に皮肉にも油と韮の惡嗅を誇る支那の社會は彼等の國民性を决して忘るゝことなしにお玩具箱をヒツクリ返したやうに根強く巢喰ふ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●海上から見た香港
雨期に入つた香港の天地は毎日降雨と曇天の連續でカメラ子に幸ひしない。海上より見た香港は自然に對する人間の挑戰と威壓だ。海岸線に建並ぶ長城の如き高樓、一千八百五十二呎のビクトリアピークを半ば埋めて建てられた層々の市街、上下縱横の道路、海から仰ぎ見た香港の光景には確かに自然を征服した英人の誇りを語るものでなければならぬ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●鳥瞰した香港(一)
ビクトリア山上一千七百呎の高所から鳥瞰した香港市街の一區域である。八十年前僅かに二千人餘の漁村に過ぎなかつた此地が英國の資本殖民地としてかく迄に發達を遂げた狀態を見ると吾々にも深い意味を暗示する。對岸九龍租借地を合せて七十五万の人口中英人は僅かにその三%の數しか居らないが實權は絶對に彼等の所有するところ、英國人の自然の征服力、冨の創造力、或は他民族に對する搾取力の偉大に對しては學ぶところ多からざるを得ない。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●鳥瞰した香港(二)
香港全島の廣さ僅かに三十方哩に過ぎないが對岸の租借地九龍半島を合すれば四百方哩の面積を有するとはれる。今日は全然開放された自由港で貿易の總額五千万磅以上に達する。主要工業として造船事業は此地の隨一なるもの、行政機関には英帝國の直轄殖民地として行政廳に知事を置く。敎育、通信、交通、其他一切の文化施設は完備せぬといふことがない。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●英人の支配力
(香港) 英國の殖民地は數よりも力でゆく。僅少の支配階級が人目の立たない部屋の中で政策の糸を引けば、幾十万の支那民衆は街頭で餘念なく躍り廻はる。英人は實際主義者だ、彼等は理屈を言はない、利廻の好いことならば何んでもやる、殖民地はどこでも治外法權で押通す、阿片でもモヒでも好きな支那人にはのませるのが功德だと心得て居る、彼等は香港を東洋第一の文化都市に築き上げた。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●建築の殖民(香港)
保守的で嚴格で儀禮を忘れないと言つたところの英人氣質が彼等の築上げた市街にも建物にもよく現はれて居る。ロマネスク風の建物それは英帝國の威力を示すに足り住むものゝ心を無言のまゝに威壓する、殖民政策は先づ都市の建築から始めることはその居住するものゝ生活を支配することである。英國殖民の成功の秘訣はこゝにある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●斷崖を縫ふ散步道(香港)
香港全島を公園に作り上げようとする英國人の目論見には美しい彼等の趣味性が見江る。何哩に渉るアスフアルトの散歩路は山上一七〇〇呎の高所を一塵をとゞめぬ淸らかさに到るところ延長される。或は熱帶植物の繁る森林に消江るかと思へば、斷岩絕壁の間を迂餘曲折して盡くるを知らぬ變化を與へて、山を美化し海を美化する。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●■(竹に豕)塘水道(雲南省城郊外)
省城から昆明湖に通ずるために運河が開かれて居る。西門外から約三支里の間兩岸に繁る樹林の影は昆明の水に綠䕃を作つて民船來往に快い景色をなげる。■(竹に豕)塘水道と稱して雲南名所の一つである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●雲南省城(雲南省)
佛領印度の海防から滇越鐵道五百三十九哩を雲南の奥地に入ると、崑崙山系の台地六四〇〇呎の高原に雲南省城昆明市がある。緯度と山地の關係から四季の氣候が頗る和順で、年中常綠の世界、花の絶江る時なき長春の都である。廂の長い木造の家屋は先づ吾々日本人に親しみを覺江させるが、割合に文化が進み親日氣分の濃厚な土地で商品の六七割は日本品であるのも嬉しい。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●西山(雲南省城郊外)
西山の秀峯湖に臨むところ羅漢山の名がある。屹立一千呎の斷巖にして、懸崖を傳ふる鑿道は昔趙練道師の開いたもので數個の佛洞がある。道のつくるところ龍門の突端に立てば、脚下昆明湖の滄波は浩洋として一望際涯なく、高原の碧落あくまでも淸く澄み渡つて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●古幢(雲南省城)
省城の東方地藏寺の境内に出土した古塔で、民國八年此のところに公園を設けて古幢公園とした。時代から云へば宋代の作で大理國の銘がある。漢人の作か苗族のものか明かでないが、その作風蒼古として掬すべきものがある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●露天市場(雲南省城)
省城内の露天市場、これが市の經營する公設市場であるだけ割合に秩序の整然たるものがある。番傘で日除をした野菜、菓物の店には、言ひ知れぬ南國情緖がただよふ。こゝには漢民族の生活と南方の被征服者たる苗族の生活が、所變れば品變る種々なる樣式に於て混流同化されて居るところに、他の地方では見られぬ大支那の風俗習慣が窺はれる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●昆明湖(雲南省城郊外)
省城の南、昆明の大湖が周回二百支里に渉つて展開する。崑崙の白露凝つて滇池の水を湛江、夢の如き湖面は淺霧につゝまれたる西山の影を浮べて、艷めかしいばかりの姿である。五段の帆に朝風を受けて滑べるやうにゆく船は昆陽通ひの民船である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●白芥子の花(雲南省城)
金馬、碧鷄の翠岱につゝまれた雲南の春は四方に棚曳く朝霞の中に桃の花散る情景を見るであろう。やがて郊外に白芥子の花咲き出づる頃は夏の近きが知られる。野路に徘徊する水牛の背に戯れ遊ぶ白鷺の姿もだれか初夏の光景に非ずといふや。かくて夕暮の部落には蛙の聲がなつかしまれる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●雲南商埠地(雲南省城)
雲南の大街[メインストリート]、金馬、碧鷄の兩門の建つところは即ち商埠地である。省城の東西に相對する山に金馬山、碧鷄山がある。昔漢の宣帝が金馬、金鷄の顯はるゝを見て神に祀つたといふ傳説の山で、城南の滇池(昆明池)と相對して、如何にも雲南を形勝の地に形づくつて居る。高原の市街美は此の門とその名の據つて起る山と水に存する所以である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●洗面屋(雲南省城)
路傍の茶屋で一寸お腹をこしらへて往かうかといふ連中は露天の飯臺に腰を下ろす前に側らの洗面屋で一ト汗を流して良い氣持ちになる。こゝでは手拭から楊子ハミガキ類まで取揃へて貸して吳れるところ頗る便利ではあるが、齒磨楊子迄共同に借用する儞達は矢張支那でなければ見られぬ圖だ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●俯瞰したる昆明(雲南省城郊外)
浩蕩として眠るが如き昆明湖の水は常春の綠に緣とられて靜かなる湖畔の部落を永遠の夢にまで導くかに見江る。高原六千數百呎の湖水は海口と稱する水源から落ちて普渡河となり金沙江となつて揚子江へと注ぐ滇池は古來春秋の時代から知られたところで、漢の長安では此地を模して昆明湖を穿ち、水戰を習ふたといふ記錄さへある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●女の群(雲南省)
山から下りた苗族の女達は山中の生産を僅かに拾つて町の露店の前に群がる。雜貨屋の夫婦は何かと愛憎をふり撒いて彼等に買入をすゝめる。ここにも文明の侵入が見られる。 商品の六七割は日本品であるのも嬉しい。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●苗族の部落(雲南省)
草葺納屋の橫木に大根をブラ下げたる、崩れかゝれる石垣に柿の木の一卜本が生江たる景色は、宛然信州邊の山村を思はしむるもの、而も數千哩を隔てたる雲南の山塞の景趣に之れを見んとは訝かし。頭に布まき付けたる苗子の女を見れば明かに崑崙の南であることが知れる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●驛頭(雲南省)
滇越五百三十九哩の鐵路は幾多山峪の險を貫いて神秘の國雲南へと驅ける。 一日往復一回、山隘の驛頭にはそれでも汽車の動くのを物珍しげに眺める苗族の女子供など集まつて賑はしい。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●苗子の娘(雲南省)
刈柴を擔ひて街に賣りに來る山の苗子(漢人は苗族をかく呼ぶ)は、頭上に載せて京の町を美しい聲で呼び歩行く八瀬大原女の趣きはないが、腰に巻いた前掛姿のどこかに似かよう面影が見へる。 歸途に買ふ町からの土産は何か、赤い手がらも欲しかろに!! (印畫の複製を嚴禁す) -
●苗子の音樂(雲南省)
牧童の苗ならなくに、苗族の若者が戀知る頃は此の簫の音色に己が思ひを込めて娘の家の戸口に佇んで吹く、幾夜をか悲戀の曲を奏しけん、娘の心に愛の芽生江の現はるゝまで簫の音は斷ゆるときもない。かくて彼女の夫は定まるのである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●盤江の溪谷(雲南省)
滇越線が雲南省城に近づいて海抜四千呎を登つたところに宜良がある。盤江の溪谷をトンネルからトンネルへの送迎に暇なき懸崖絶壁を縫ふて車窓からかひ間見る溪流の美は實に美しい。之れから汽車は一氣に六千四百呎の雲南高原に突破する。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●瘴癘の氣(雲南省)
老開から一度雲南省境に入れば、汽車は忽ちにして深山幽谷の間を縫ひ乍ら嶮嶽峻峯を征服して走る。 七八月頃雨期に入れば毒ガスの如き瘴癘の氣が薀蒸して人畜を害するので有名である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●白苗の女(雲南省)
袖長がのジヤンパーを右前に合せてスカート姿で穀然と立つたところは漢人といふよりも西洋婦人の風俗に近い。 一槪に苗族と云ふけれども花苗、白苗、黑苗、打鐵苗等々七十二種類からの部族がある。彼等の頭には必ず此の布を巻きつけるのが習慣である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●滇越鐵道(雲南省)
滇越鐵道の設計工事は總て佛國人の手によつて完成されたもの、雲南河口間四百六十四キロメートルの間に百五十四のトンネルがある。工費二億一千萬法を要し一九一〇年に開通された。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●難工の架橋(雲南省)
滇越線中の最大難工事を以て有名なところ、万尋の谷を征服して絶壁から絶壁への架橋、しかも隧道から隧道への連接である。之れが工事のためには杭木一本に苦力一人の生命を捨てゝ辛じて完成したものである (印畫の複製を嚴禁す) -
●猓々の風俗(雲南省)
蒙自、箇舊の市街地には雲南特有の色々な民族が集まる。猓々と稱する民族も街に住んで居るものは大抵漢人化して居るが、それでも婦人の風俗には尚彼等の固有色を殘して居る。頸穴の明けた肩板に朝鮮人の擔荷のような恰構に荷物を背負ふ態も山寨に生ひたつた彼等が自然の姿である。前髪取つた漢人の女と頭巾を戴いた猓々の女とは一見してその區別を見わけられる (印畫の複製を嚴禁す) -
●纒子を冠れる勞働者(雲南省)
四川省寄りの北雲南地方に見る支那勞働者の風俗には、印度系の頭に巻つける纒子がある。紺色の長い布を無雜作にグル(グル)と巻いた恰好は裝飾といふよりも何にか實用を意味したものらしい。瓣髪に代る長布といふ洒落でもない。漢人種の風俗としては雲南に於てのみ見る特殊なものである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●少年坑夫(雲南省箇舊)
錫山の經營は錫務公司の手でなされて居る。現在採堀の方法は頗る原始的で、鑛坑も加背の低い狹隘な斜坑と淺い竪坑で、坑夫はすべて十才から十三四才の少年勞働者であることは驚くべき現象である。カーバイトランプを提げた營養不良の傷たいけな少年が暗い坑内で採堀した二三貫目もあろうかと見ゆる鑛石入の袋を背と胸に振分けてブラ下げた姿を見たものは此の世ながらの地獄を想はしむる、彼等は大抵四川方面の邊境から雇はれて此處に來たものである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●蒙自の街(雲南省)
蒙自は南部雲南第一の都市で省城から百八十七哩餘滇越鐵道開通前迄は外國貿易市場としても相當殷盛を示したものであつた。主要なる商品としては錫、茶、硯石等有名なものである。 楕圓形の城壁を繞らした縣城の街は、古い揚屋町を思はするやうな、軒並に手摺欄干を配した二階家が、廣東商人の跋扈する西門附近である。每月數回開かれるマーケツトには公許賭博場もあつて兵隊に立番させて居るのも頗る奇である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●錫の■(土と尸に斗)■(石に曹)式洗鑛(雲南省箇舊)
鑛坑の中より取り出したる砂土狀を呈した錫砂を、■(土と尸に斗)■(石に曹)と稱する方法を以て洗鑛する。瓦或は板を以て斜溝を作り、錫砂を坡上に裝置して、徐々に輕くこの上に水を灑げば泥砂は前方の池に流下し比重の大なる錫質は斜坡の下端に沈積する裝置である。舊式な方法ではあるが新式なる機械の理論と合するところ面白い。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●碎鑛と水牛(雲南省箇舊)
鑛坑から採堀された錫鑛を碎鑛、洗鑛、製練の工程に依つて順序を立てるには舊法も新式も變る筈もないが、鑛山といへば直ちに數百尺の大煙突を連想する吾々に花崗岩のロクロ車に水牛のニユツと現はれた此の構圖の添景を見ることは如何にもクラシツクな感を催(異体字か?判別不可)さずには措かない。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●箇舊の錫山(雲南省)
箇舊の錫山は世界第五位の錫鑛として有名なものである、と同時にその採鑛の方法の原始的で幼稚なことも亦有名だ。採堀した鑛石は總て溪流に投じて降雨の際出水を見て自然洗鑛を行ひ、數里の下流で再び拾ひ上げる。 寫眞に見る嵯峨たる岩角にはみな錫鑛をバラ撒いて居る、砂金採集の仕方をもつと人爲的にやつた方法である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●錫の洗鑛及び製錬(雲南省箇舊)
山上の溪流で荒洗ひをして得たる錫砂を曝■(石に曹)と稱する溝に移して、水を注いでこれを攪拌すれば、泥水は流出して錫鑛は溝底に殘留する。かくて洗鑛したる錫砂を高熱爐の中に入れて製錬するのであるが、その方法も舊式な士法たるを免れない。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●竹製の水きせる(雲南省)
小帽を冠つた漢人の風俗は南も北も變りはない。世界に支那人程統一された服裝をして居る民族はないが之れでまた支那人程心の異がつた民族もない。處變れば品變る、水煙の煙管も南方一帶は總竹管製のものを用ゐて、决して北方に見る金屬製のものがない。水煙は何んと云つても支那の階級意識からすればブルジヨア風の趣味だ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●箇舊の市街(雲南省)
滇越鐵道の碧色寨の驛から箇碧鐵路といふ輕便線が分岐する。箇舊はいふまでもなく錫山の所在地に近く蒙自高原の一市街地である。ソリのある屋根の線に雲南特有の建方を示して居る市街の景色はどこかやさしみがある。昨年土匪軍の撤退金三十萬元の提出を拒んだので目抜の場所はすつかり燒拂はれた。鑛山に近いだけに人氣の荒い土地抦である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●既婚女の髪かたち(雲南省にて)
西藏の既婚女の髪は三筋に綱まれて辯髪として背後に垂れる。頭上に戴く布片の廂は老若を問はず共通の風習らしい、謂ふまでもなく此の邊の西藏人は苗蠻夷族との混血が多いのは免れ難い。果して此地方に於ても一妻多夫の風習を傳へて居るかどうかは知らぬ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●段通を織る女(雲南省にて)
西藏部落の女の日常生活は主として紡織の仕事に追はれて居る。羊毛を紡いで自家用段通を織つたり、衣服の材料を製つたりするのがその日(その日)のなりはいである。如何にも原始的な織法で彼等はすべて自給自足主義だ。足に草鞋をつけたるは苗族邊りの影響を受けた風俗である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●山羊の毛を紡ぐ西藏女(雲南省にて)
大理の附近には西藏部落がある、山羊の毛を紡ぐ西藏女の群れは、屋前のヤードに腰を下して何事をかさざめいて居る。手ぬぐひの姉樣冠りの代りに一寸廂に布を頭上に載せた恰好は之れも西藏風とや謂はん、錘に卷く毛糸の小田卷、お互ひに若き折りの戀物語を昔を今に繰り返して居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●『ヒイモリ』(雲南省にて)
ヒイモリは西藏の高原、蒙古の沙漠の中に見出される喇嘛敎徒の奇異なる迷信の標識である。人の運勢を祭るもので運の馬とも呼ばれる、人の運命を干支によって區別する習慣は日本にもあつて、一白とか四碧とか色分けして居るが、彼等の幟も五色に色分けしてある或は迷信の起原を同ふして居るかも計り難い。右方の石の竈は香を焚くところだ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●香爐(雲南省にて)
西藏人の家の入口には必ず香爐代りの竈が設けられる。草や木の葉を焚いて煙を神に捧げるためである。毛糸を紡ぐ手すさびに喇嘛の呪文を誦へ乍ら香を焚く彼等の習慣には、昔犠牲を捧げて神を祭る原始の面影を今に尚ほ存するものである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●西藏へ歸る隊商の群(雲南省にて)
雲南の北邊一万呎に近い高原の台地は限りなき大陸の屋根をなして崑崙、比摩羅耶の高嶺につゞく。北に超ゆれば世界の秘境靑海、西藏の地がある。 幾百千を以て數ふべきキヤラバンの蜓々たる動きが喇嘛の呪文を誦へ乍ら珠數をつまぐる西藏道者に導かれつゝ、高原の空氣を慓はせて行く姿は、ミステリイであり崇嚴である。彼等の旅はかくして六ケ月を費やすといふ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●隊商の夕餉(雲南省にて)
隊商の屯する光景は實に秩序の整然たるものである馬から荷物が取り下ろされると水草のほとりに馬群は導かれる。即がて炊爨の諸道具が取出されて、自然の竈に火がたき付けられる。食事はキヤンプフアイヤーを圍んで樂しく開かれる、綠地の饗宴に一日の旅の勞苦を忘れる人と家畜の樂園氣分はキヤラバン生活でなければ味はれない。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●西藏人(雲南省にて)
廣額隆鼻の西藏人はチユウトン系の血液を多分に傳へて、漢族とは自ら種族を異にする。頭部を捲ける布手に持つ珠數、兩脚に卷きつけたる脚袢のいで立ちは正にアラビヤから中央亞細亞地方に見らるべき同型のキヤラバニスト姿である。西藏人は常住坐臥の間にも念々行業の喇嘛の導者として、彼等が手に持てる珠數を數へて呪文を誦へることを忘れない。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●西藏隊商の荷物(雲南省)
茶の愛好者である西藏人は年々支那より輸入する額二千萬斤を下らないと謂はれて居る。その茶は皆磚茶であつて方形に梱包された此の荷物はすべてそれだ。 馬背に積んで數ヶ月の行程を遠しとせず輸送さるるためには幾多の困難が伴ふことであろう。隊商の旅行には時に土匪の襲來に遭遇する。火繩銃の鐵鉋、腰間の劔、竹製の水筒、皮製の用心袋などすべて彼等の携帶品だ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●隊商のキヤンプ(雲南省にて)
雲南に來る西藏隊商の行程は短くて六ヶ月を費やす彼等は此の長い間の旅行をキヤンプを以て終始する。彼等はかくも遙る(遙る)西藏の奥から何を求め何を齎らして崑崙の南へ來るのであるか、彼等の欲しいのは茶である、彼等は羊毛や獸皮や麝香や蕃紅花の類を齎らしてその茶と交易するのだ、水邊に屯したる一群の天幕の中から、今宵望郷の西藏謠も聞江る事であろう。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●蒼山の大理石(雲南省)
大理は古來から大理石で有名な地方でその産地を蒼山と言つて海抜一萬呎以上の高山だ。雲煙模糊の間に飛龍嘯虎の雲形を巧みに切り出す謂ゆる大理石細工は總て此の地から出たものである。古來支那の建築材料として宮殿寺觀の大理石材はその優秀なるものは總て雲南に求められたのも故ありと言ふべしである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●苗族の手織木綿(雲南省)
廣通縣から楚雄趙州附近一帶の地方は手織木綿の産地として名高い。如何にも原始的な織方で主として蠻民向の太織物だ。苗族の工業として注目されるものである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●宿場町(雲南省)
大理街道の中間宿場に呂合といふ町がある、猓々族にも苗族にも影響されぬ純粋な漢民族の町並を見せて古い傳説でも殘して居りそうな驛路である。雲南省城から大理迄馬背往復五十日の行程に十三次の宿場がある。此邊の店(宿屋)は馬を主として泊める設備があるだけで人間の宿泊は實にお粗末なものだ、飼馬槽の側に馬の糞尿の飛沫を浴びながら豚の兒ち一緖に寢るやうなことも珍らしくない。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●鹽たく家(雲南省)
ねむの花がうす桃色に咲きほこる崖ばたの家には、山から引く筧を傳ふて山鹽の水が斷江ず導かれる。屋後に山と積まれた焚柴は謂ふまでもなく製鹽のための燃料である。靑い煙に薄かすむ山隘の製鹽所の光景は雲南ならでは見られぬ情景の一つであるが、藻汐たく漁女ならぬ雲南の山人らはかくて岩鹽に依つて生活するのだ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●製鹽(雲南省)
海に遠い雲南の山奥には豊富なる山鹽が産出される猴鹽井、黑鹽井、阿陋井等の産塩地では相當大きい規模の製鹽所がある、岩鹽の礦脈が岩石の中に侵入した水に溶解して流れて來るものを井戸に集めたものがそれだ。此の鹽水を釜の中で煮沸蒸溜して固形となつたものが、氷塊を鋸切するやうに分割されて運搬輸出に便される。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●猓々の住家(雲南省)
屋根が扁平で階層的に山の斜面に作らるヽ恰好は西藏系建築の影響を受けたるものとして頗る面白い。猓々族の住居の本來は合掌屋根の建築で圖中左方に見ゆる兩三戸はそれである。西藏民族が崑崙の天險を超江て交通貿易の機會に於て文化の接觸を先づ建築の樣式に表現させて行くのも意味深いではないか。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●田舍の茶舘(雲南省)
旅人に取つては休息のオアシス、村の若者にとつては戀の搖籃である片田舍の茶舘の光景こそ不思議にも珍しい場面でなければならぬ。土そのまゝを削つて壁ぎはに殘されたる土のソフア、適度の距離にしつらへたる土の長デーブル、一群の土製の茶器か酒器かを圍んでL字形に曲がつたコーナーに陣取つた兵隊さんも百姓も此場合無くてはならぬポーズである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●阿片の収穫(雲南省)
大理の高原には繞角の瘠地が多い、百姓は収益の多い作物を選むことになれば自然阿片の栽培に手を染める。表面は禁止されて居るが罰金さへ出せば耕作勝手だ、支那では税金は罰金の名で徵されても文句の無い國だ。あのお玉杓子をつつ立てた樣な芥子の實から、猓々の女は一つ(一つ)傷口を拵らへては毒液を絞り取る雲南の阿片産額は支那國中でも第一とされて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●猓々の田植(雲南省)
同じ猓々族でも彼等の用ふる色で區別される。黑猓々とは冠物でも衣服でも總て黑色の布を使用されるところから名づけられるが、此の部族は大理街道の紅崖付近の山中に主として住つて居る。彼等の結婚風習に女は男へ手製の刺繍した沓を贈る風習がある。既婚者は烏帽子風の冠物をするのが常だ。早苗とる猓々の娘の田植歌は遂に聽くを得なかつたのは遺憾とする。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●覇王樹の森(雲南省)
雲南は緯度からすれば亞熱帶地方であるけれども、高原のために氣候は著しく緩和される。併し自然には到るところ熱帶植物の繁茂に依つて珍らしい景觀を呈する。 サボテンの森から小馬を索いてヘヨツコリ現はれた若者の頭にタオルをかけ鳥打帽を阿彌陀に冠つた姿はまさに村の靑年團の模範靑年といふ恰構だ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●望夫雲(雲南省)
一縷浮雲幾度秋 堅心常注海中漚 踉蹌濤打蛟龍窟 綽約神明水月樓 捲地難平千古恨 廻峯又鎖百重憂 可憐夫壻無消息 空抱情根護石頭 (印畫の複製を嚴禁す) -
●五華樓(雲南省大理)
大理府の中央に五華樓の樓門がある。唐の南詔王蒙氏の創剏として傳はる。羅觀の詩に 勁旅平南九十春 蒼山花木幾枯榮 曉寒海氣連雲濕 夜靜鐘聲帶月明 滿目微茫疏雨寺 幾家籬落夕陽城 不堪樓上弔今古 斷雁西風兩袖輕 (印畫の複製を嚴禁す) -
●女の菅笠姿(雲南省大理にて)
大理附近の婦女はその外出には必ず菅笠を被る。市場に集つた雲南女の好尚として笠の色紐に女らしさを表現して居るところに目をひく。日本でも春過ぎて夏來にけらし小山田の蛙鳴く畦畔に早苗とる田舍娘の菅笠姿に見る素朴なエロテツクの感じと同一である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●洱海(雲南省)
洱海は蒼山と相俟つて山海の双璧をなすもの、蒼山十九峯、十八溪の水が此の洱海の滄浪となる。 茲山崛起自鴻濛 茲水冲瀜浸碧空 雲霞出没蒼翠中 朝昏晴雨態不同 登臨呼吸與天通 逆洄上下昭靑穹 水涯山陬萬井豊 (後略) (印畫の複製を嚴禁す) -
●三塔(雲南省大理)
千尋塔の名がある。大理縣城の西北蒼山の翠微を背景として左右の塔と共に美しいポーズを示して居る。唐代の創建にして祟聖寺の構内に在るけれども寺は先年燒失したまゝで今に復興を見ない。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●大理市街(雲南省)
古くから緬甸街道の一市邑として滇西の樞要地である。東洱海を擁し西蒼山を扼して頗る景勝の地である禹貢の所謂梁州の地、昔から苗蠻族の占住すところで、マルコポウロの旅行記にあるハルジヤンの首府なるもの蓋し此の地であろう。大理府は明の洪武以來の名である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●大理石の工藝(雲南省大理にて)
大理は即ち大理石の産地で、雲南では點蒼石と呼んで居るのは點蒼山から産出するからの名である。雲南の大理石は冷白の地に濃淡の墨色で美しい山水雲霞の文樣が描出されるところに珍重される。所謂自然の石面に表現する南畫趣味で硯屏、對聯、額、基石などの製作に用ゐられる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●下關(雲南省)
下關は滇南兩關の一つで、蒼山の翠綠を背景に洱海の西南に瀕した美しい水都である。此の地は昔から大理阿片の集散地として有名なばかりでなく、騰越税關を通じて輸入せらるゝ外國品は大半此の地の商人の手を經て四川、遠くは西藏方面に迄仕向けられる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●棺材(雲南省大理)
雲南北境の山中から伐り出さるゝ巨木の主なるものは棺材として搬出される。西藏境の雪降る山を馬背に依つて送り出されたものはかくて大理の街に集る。而して此地からまた雲南一体遠くは南洋方面に迄轉賣されて行く。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●税金の取立(雲南省大理にて)
支那では税金と罰金とは同一意味で取立てられる。あの軍閥の内亂争奪に暇なき此頃の狀態では税金は高くなるばかり、阿片の如き禁制品にも罰金の名で課税する始末だ。釐金局の旗が町の眞ん中にブラ下る事は猛虎を市に放つより市民には恐ろしい事實だ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●上關附近(雲南省)
洱海の北岸に上關と稱する市街がある、蒼山を背景にした風光の明媚な土地で、向岸の下關と相對して古來から外來の輸入商品の檢査所のあるところであつた水中にブロツクを沈めたやうなものは魚撈の𥱋である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●『明家』の娘(雲南省)
『明家』は明代の屯田兵の後裔で、漢人の苗族と混血した一族である。大理附近に今尚その一部落を見る。 例の露天市場の群集の中に頭髪を銀細工の珠で飾つた鉢卷やうのものを冠つた小娘は特に目につく。それは明家種族の未通女だけの風俗で、彼等は漢人の中に生活をして居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●鷄足山(雲南省)
鷄足山は雲南に於ける宗敎政策の中心聖地として、山西の五台、四川の峨嵋山等に比すべき寺觀廟廓が建立され、一時は盛觀を極めた時代もあつたが今は衰頽見る影もない。山頂一萬尺の高地遙かに大雪山の雄景を望む、祝聖寺は現在に殘された當時の遺跡の一つである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●緬甸街道(雲南省)
大理から緬甸への古い街道、行く先き(先き)に旅人のために昔からある宿場がある。驛路の歷史を物語るかに生ひ繁る楠に似た常盤木の老樹は、人生の覊旅に如何に多くの慰安の影を與へたことであろう。西藏通ひの隊商の群も必ずこヽを通過して遠い國の音信れを殘して行く。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●白苗(雲南省)
苗族にも七十種類からの部族がある。彼等はそれ(ぞれ)固有の風俗をその着衣の色や縞柄に傳へて、白いスカートを穿くものを白苗、花の刺繍を施したものを花苗黑衣のものを黑苗などと名づけられ、その傳統と習慣を永く女の服装の上に保有する。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●釣橋(雲南省)
鷄足山の登攀には可なり大きい旅の惱みを甞めた。到るところに深溪幽谷の間を連らねて往かねばならぬ山道には、時々思はぬ釣橋などを渡る。 此の橋は兩岸に鐵鎖を張り渡した上に木片を無雜作に乘せた釣橋の一つである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●天生橋(雲南省)
蘇正 虹影層巒斷 風聲絶峽來 溜飛千磴雨 湍響四時雷 蜃棟依山掛 黿門鑿石開 星河相對望 恍是泛槎台 (印畫の複製を嚴禁す) -
●雲南女の刺繍(雲南省)
雲南の原始族の裝身は一に刺繍である、殊に靴の刺繍には女達は懸命になる。それは結婚にからむローマンスを語るものとして、その縫ひとる一針(一針)の運びには異性に對する心の愛の表現がある。此のポーズは漢人と苗族の混淆を意味する貧しい雲南女の風俗を表はす。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●國境山中の山武士(雲南省)
雲南の北陲、屏風の如く國境を廻つて聳ゆる山嶽は云ふ迄もなく鳥も通はぬ崑崙山系の支脈である。此の山を距てゝ神秘の國西藏と古來僅かに交通をして居た漢人の間に、何時とは知らず異樣なる山人の風俗が出來た。白銀作りの大刀を佩いた山武士の面影も現代には珍らしい姿である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●藤のつる橋(雲南省)
大理の洱海から流れ出でゝ緬甸に落つる河上に、藤葛を利用して架け渡された原始的な蔓橋がある。山深き國境を思はせる此の橋上に立つて、どう(どう)として流るゝ脚下の水を見たとき、我身の餘りにも遙かなる遠征を思ふと同時に、逝く水の流れに遺る瀨ない思ひを寄せた。 (印畫の複製を嚴禁す)