亜東印画輯/京大第22冊
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●一輪車の列
曳く車を見馴れた吾々の眼に重い荷物をつけて巧に調節しながら押して進む一輪車を見ると奇妙に思はれる。山東では到る處一輪車の利用が多く、麗らかな陽をうけた田舍路を、一輪車に老母と幼兒などを乘せた楽しげな一行に遇ふのはうれしいものである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●街の井戸
塵埃と異臭が熱氣にうだるやうな支那街の眞晝、その塵埃の内を悠々と水を汲んでる人夫、これが各戸に配られて飲料水となるのである。衞生とか保健とかむづかしい事はもう置忘れたやうな處に支那人らしい無頓着さがある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●飮料水屋
「氷鎭梅湯」とか「西法蛋奶水」とかむづかしい名の飮料水が赤、靑、黃と色とりどりに美しく飾られた店先は如何にも喉が鳴るやうだが、内容はどうやら砂糖水に色を付けたものを小形の杓子に一杯づゝ賣る代物である。「靑島嶗山汽水」「京津特製」など宣傳が如何にも支那流でよい。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●盥の蓮賣り
蓮、眞菰、菱などが湖面に澁い落付いた景趣を添へる濟南の大明湖は、昔から詠はれた名所で湖畔に並ぶ寺廟や祠を眺めながらの晝舫の淸遊もよく、その中を盥船を操りながら蓮賣る風趣も又捨てがたいものがある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●兵隊さん
雨降りに傘がけで仕事をした後であらうか、泰山の寺廟の境内にひと憩みする兵隊さんのスナツプである。元来支那では兵士も匪賊も同類で「勝てば官軍」表と裏程の相違も無く「王侯將相、何ぞ種あらんや」だ。昔は彼等のうちにも或は將相たらんとする夢を描いたものもあらうが、今は只追はれ追はれて明日の無い命をつゞけてる事であらう。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●物乞ひ
支那では乞食は立派な一つの職業で生活である。如何にしも哀れそうな聲に節をつけて人に迫るあたり堂に入つたもので、しかも貰ふまでは哀願するが貰つてしまへばケロリだ。これは泰山途上に參詣の人々の喜捨を待つ群の一人で如何にも殊勝らしい乞食振りである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●老爺
とある路傍の石垣の隅で下棋に餘念の無い老爺の姿、永い人生の旅の波瀾を刻む皺、塵埃にまみれた白髪、宿命に呪はれたと云ふよりも寧ろ徹し切った「沒法子」の境地を思はせる相貌である。永いうちに因果應報に馴らされた殘骸を今は只天帝に托したと云ふ形である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●嶗山
嶗山の山ふところ胡藤の香に包まれた九水の部落は山中唯一の谿流白砂河の淸洌を添へて美しい。附近道路が柘かれ外人の別墅などもあり、山中の淸流に釣竿を垂れるのも又一興である。これはその谿澗で漁られた獲物。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●絲硝子屋
山東の博山は古來から陶磁器及硝子の名産地として知られ硝子は特に著名であった。昔は金銀寶石などを鏤めた精巧なものもあつたが今は纔に線硝子を網代に組み書畫を挿入した額面や屛風などが風變りなので喜ばれる位のものである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●炭坑の兒
兩親共職場に出てるらしい、留守の間を守る小供等は熱さが酷いので素裸姿である。坑夫町の下層民の活きる姿は何處でも同じやうに暗影が漂ふが、この子供等もやがては親の業をつぐ日が來るやうに思はれて妙に陰慘な香が胸をつく。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●感應塔
曲沃の町は山西南部所謂晋南地方の要地で、南北交通上にも軍事上にも重要な地點で、汾水流域に臨んだ此地方一帶を農産の豐冨な肥沃の地域である。感應塔は城外感應寺にあり、宋代の建立と謂はれ当時十二層の高塔であつたが、元の大德七年地震のため裂け四層崩壊され今は二つに裂けた八層が寂しく殘るのみである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●樓門
絳州は新絳とも呼ばれ、平陽の南方曲沃の西にある。遠く北魏の頃は東雍州と稱し茲來幾多の變遷を經て元以來專ら絳州と呼ばれて來た。町の地勢は東南西に高く、東南角の高台に城壁あり、新城は晋の太子の築造せるものと傳へられる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●絳州の塔
山西を中部から南部に貫流する汾水は、忻州、大原、汾州、霍州、平陽を經て絳州邊から右折し更に河津の西南に到つて黄河に注ぐ。絳州から河口迄は舟揖の便あり、流域に臨む州内は農産に富み、また縣城近くは紡績業盛んに行はれて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●盛り場
此處は運城々門市場附近の盛り場である。新政府の和平救國の運動はこゝ晋南の端、運城にも平和の春を齎して町は朗らかな光を漂はす。芝居に映畫に飮食店に廣場は賑ひ、賣る者、買ふ者、見る者などの皆嬉々たるうちに、にこやかな兵隊さんの姿を見るのも懐かしい。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●支那芝居
盛夏舊暦六月に運城鹽池廟の大祭が行はれ、晋南各地から集る參詣者で町は賑ふ。祭典奉納の芝居の幕が開けて、銅鑼と太鼓の音につれて現はれた役者の美聲に觀集は恍惚と聞入るところ、芝居は特に北京梨園の名優が招がれるので唯一の呼物とされる。「演新劇喚醒新民」の標語にも時局柄らしさがある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●鹽池神廟
河東鹽で有名な鹽池は解縣と安邑縣の界に跨る周圍百五十支里に渉る大鹽池から産出せられる。運城は年額百二三十萬擔と云はるゝ鹽の取引市場で、販路は西部山西、河南の北部から陝西へと及ぶ。池畔に立つ宏闊な神殿は守護神鹽池神廟で、附近に廟あり、樓あり、神殿より鹽池を隔てゝ望む巒峯の風光は頗るよい。圖は年一回の大祭目あてに開かれる韮の市である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●鹽池神廟大祭
今日は鹽池の神樣鹽池神廟の大祭日である。社殿の通路に軒を並べた飮食店や玩具屋は、地元は愚か近郊近在から螺集した人の渦で蒸返る賑かさ。年一回を目當てに農産市が立ち喧騒の裡に取引が行はれ、端の方では牧畜の賣買市も開かれる。遠く舞臺からは芝居の銅鑼が鳴り響く。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●中條山脈遠望
運城郊外から望む中條山脈の巒翠は靑黛のやうに美しく、平和な山麓に展げられた沃野は、微風に徭〲靑い麥の穗波に夏の日は酣けていとも長閑である。中條山脈は山西中部を南北に縦貫する大岳(霍山)山脈の支脈で、運城の東を走り更に南端は蒲州で黃河に臨む。事變以來敗残の兵が今も尚山中に蠢勤する。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●關帝廟祭典
晋南での二つの祭典のうちの解縣の關帝廟の祭典は北の鹽池神廟に對して舊暦十月初旬に行はれる。關帝廟の本家だけに一週間の行事は各地から集る參詣者で香華の煙が絶えず、特に近時治安の回復はいやが上にも人を集め、支那芝居、映畫、競馬等の催物あり側ら牧畜、農産等の取引市が開かれて賑ふ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●關聖廟
解縣は、支那では寒村僻地でも馴味の關帝廟の本尊關羽將軍の誕生地である。縣城の西門外にある關聖廟は、結構宏壯地元にふさはしい壯麗さであるが、四圍の廊房は多く商店の營業場とされ附近一帶茶館、呉服屋、飮食店の櫛比する繁華區をなして居る。廟内に石刻の遺像あり、關聖風羽竹碑あり、漢柏と共に漢代より傳はるものと云はれて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●太子河の鐵橋
本溪湖市街の南端を洗ふ太子河の鐵橋は安奉線中隨一と云はれ、橋下の碼頭には上の堿廠から下流の遼陽に往復する舟や筏や獨木舟などが群つて賑ふ。對岸の平頂山麓に連る一帶は、日露戰役に名高い宮の原の古戰場である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●太子河舟遊(一)
山紫水明に惠まれぬ滿洲では安奉沿線は珍しくうるほひのある景が多く、特に夏時の太子河の流域の景は保津川下りになぞらへる絶勝と云はるゝ。翠巒に溪谷に山開き絶壁迫る眺望の變化は秋の紅葉の美觀と共に比を見ぬ景觀である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●太子河舟遊(二)
上流の碧水山勢が迂曲する太子河の絶勝も此處本溪湖近くになると水勢も緩かに又趣を異にする。萍々とした水上を凉風に送らるゝ遊覽の屋形船なども浮んで、納凉に釣魚に都人を樂しましめる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●徐家庄子近く
本溪湖から太子河を遡ること少々、平頂山の山裾が平旦に展げられた處に徐家庄子がある。對岸から下瞰すれば迂曲する淸洌と翠の連峯に挾まれて、さゝやかに懐かれて居る家並の點在が如何にも可憐な姿である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●太子河の筏
源を遠く奥東邊道の樹海から發する太子河は、年々筏材流出せらるゝ木材の量は夥しいものである。季節が來ると流域は流筏で賑ふと共に筏相手の人々が集つて、本溪湖だけでも五千近い筏の取引が行はれる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●渡し守
のんびりと客待ち顔の渡守の長い煙管の煙がゆら(ゆら)と眞晝の空に消える。淸流の河畔に翠巒に去來する雲影を友として一日を過す商賣は、詩的にも思はれるが、御當人には至つて如何にも退屈らしい面持である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
●獨木舟
永い秋の陽も傾きかけてそろ(そろ)黃昏近く、對岸に急ぐ渡舟の姿も河面に碎ける金波のうちに影繪のやうに黑い。河岸には夕近い靜けさのうちに置捨てられた獨木舟のみが淋しく影を宿す、この河にはよく幾艘も連結された獨木舟が上下する。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎燕州城(太子河畔)
崩壞された磚壁のまゝ山上に曝された古城跡燕洲城、突几の岩丘に淸洌の河流に春秋は流れて幾變遷、靑史を祕めたまゝ自然のうちに白日の夢を結ぶ。高い秋の陽をうけた咲遲れの夏草の花一輪が路傍に淋しく旅人の眼を慰めるのみ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎鐵瓦寺(太子河畔)
淡い秋風が樹々の梢を徭り、花も旣に過ぎた門前の蓮池は蓮葉のみがサラ(サラ)と鳴る。本溪湖近い太子河畔鐵瓦寺の景●(空欄一字)丘上の彩甍が腳下の緩流に碧紋を描く姿は又捨てがたい點景である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎鐵瓦寺の娘々(太子河畔)
娘々廟の本尊は雲宵、避宵、瓊宵の三姉妹で各々授福と治眼と子授けを司る。大體に欲が深く眼病が多くて子孫繁榮を最大目的とする國民には打つてつけの神樣で、繁昌疑いなくどんな僻地にも祀られる。これは太子河畔で拾つた娘々廟の子授けの御神體である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎戰の跡(九連城)
九連城の高地は昔鮮滿界の要地たりし處、日露戰役の砌に劈頭黑木第一軍が敵の大軍と接戰せる戰蹟地である。山上に當時を偲ぶ記念碑あり、一面の高地はつは者共の夢を結んだまゝ、今は山裾の草叢にすだく虫の音に昔を忍ぶのみである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎夕近し(五龍背)
清冽と水田と楊柳の葉末に靜かに暮れを待つ五龍の川べり、背にかすむ巒峯の翠微と柔からな湯烟のうちに包まれて、しつとりと夕の帳はおろされて行く。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎朝まだき(五龍背)
未だ消えやらぬ夜露の夢のうちに、草も木も土も大地はしつとりと淸々しい。山の端に淡紅の雲が彩らるゝ頃になると、遠近の連峯が薄紫の肌をあらはし朝霧につゝまれた陽影が地上を匍ふ。朝まだき耕す人々の姿は尊い。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎丁儀山(五龍背)
五龍背溫泉の西北一里、紫の山肌が突兀と骨をなすやうな豪宕な山姿を沙河に映すのが丁儀山である。 落つる日が沙河の柳に殘るとき青銅に立つ我が窓の峰 鐵幹 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎溫泉の源(湯山城)
湯山溫泉は湯山城の驛から約三里半奥の靉河支流河岸にある。昔から五龍背を西湯、此地を東湯と稱された處で翠微の嵐氣につゝまれた溫泉らしい境地である。これは聖泉寺境内に湧出する溫泉である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎のどか(湯山城)
五龍背の溫泉鄕近く山峽にはさまれたとある部落の一點景、大自然の懷ろに靜かに世塵をさけたこの里では床屋の主が樂しみの籠の鳥の音もいとはれやかに、餌を漁る鶏の群もどことなく長閑である。靑葉の下には客待ちげに湯釜が沸つて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎鳳凰山の奇巖(鳳凰山)
安奉線の山岳美はその溪谷、細流と共に滿洲に珍らしい景趣である。景中鳳凰山を太宗とし、幽寂の境地峰聳え松秀で山中に古刹あり廟觀あり、秋紅葉の期を以て絕賞と云はるゝ。山は鳳凰驛より東南約二里、山麓に古來から名の知らるゝ鳳凰城址がある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎裏鳳凰(鳳凰山)
鬱蒼たる樹林に覆はれ天空に巍然たる奇峯鳳凰の觀賞は裏よりするも又趣きがある。秀峯巒競ふが如く突兀たる起伏に接するとき、異なつた興趣を覺えその雄渾に壓せられる。 美しき鳳凰山は峯多し芭蕉の卷葉むらがるやうに 晶 子 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎高麗川を望む(高麗山)
奇巖怪石、險しく峭立する高麗山の勝は寧ろ鳳凰よりも勝ると云はれ、眼近かに觀る奇巒の山姿も雄壯であるが、遙かに望む淡彩の山容、巓をかすめる雲烟の美は南畵に似た魅惑を覺える。若しそれ惻々なる虫の音を添へるとき一しほ趣の深さを知る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎山の秋(高麗山)
西ひがしあはれさおなじ秋の風 これは一生を旅に暮した芭翁の句である。こゝの山深く秋風にそよぐ草花の葉擦れに、そゞろに故國の山容を思慕なること切りなるときじみしみと味はるゝ句である。云ひ知れぬ寂しさのうちに何とはなしに深いものが感じされる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎蒙古へ(蒙古)
蒙古へ、蒙古へ、昔は蒙古旅は御伽噺にあるやうな神秘めいた氣持ちがされた。幌馬車に旅寢の枕をかさねること幾日、草原に轅のあとを殘して行く旅はそのまゝ詩でもあつた。然しエンジンの爆音が草原を馳驅する今では砂漠の旅も昔のやうな夢では無い。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎親子づれ(蒙古)
待ちに待つた廟會の日が來た。廣漠たる草原の彼方此方から集る幌馬車の群は夥しい數である。今し盛裝した此の家族の群も出かける處らしい、馬車の内に結ぶ仮寢の夢にもさぞ待ち遠しい事であらう。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎包の祭壇(蒙古)
喇嘛敎は阿片と云はるゝ程蒙古人に喰入つて完全にその生活を握つて居る。見渡す限り遮るなき草原にも喇嘛廟だけは黃甍に朱殿に嚴然たる偉容をなして居る。移動する包の內にも立派な祭壇が設けられて絕對的な信仰に人々を集めて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎長桿を手に(蒙古)
長桿一鞭、手足のごとく數千の羊や牛が動かされる。廣々たる原野に放牧を業とすることは父祖傳來のものでいなゝく悍馬に跨つて操る一棹の長桿は牧夫の矜りの一つでもある。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎王樣の居間(蒙古)
往昔遠く東歐の空までも鵬翼をひろげた大王の覇業も今は昔の夢、淸朝の懷柔策に精悍を去勢されても尚王族の聲位は土民を率ゐて居る。これは豪著な王樣の居間の一部。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎羊毛を運ぶ(蒙古)
夥しい羊毛が牛車で運ばれて行く。牧畜を主とする蒙古では羊毛が第一の生產で、一方紡がれた羊毛は稚拙な手工で絨氈となり包の覆や衣類にも用ひられると共に斯うして町へも交易せられる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎駱駝の放牧(蒙古)
牛、羊、駱駝と蒙古草原の到るとふろに放牧の群れを見、水を求めて沙原を渉る一團は數千も數へるもある。强烈な太陽が砂地に照りかへす砂いきれのうちに、眞晝でも夢見るような駱駝の姿を見るのは蒙古ならではの繪である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎包の炊事場(蒙古)
遊牧の民蒙古人の生活は、移動包を唯一の住居とするだけに多人數になると相當大きなものがある、人々の調度も總て一緒に運ばれて包の組立と共に据付られ暫くの生活が營まれる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎包の前にて(蒙古)
從來の遊牧生活から漢人の移住などにより農耕へと生活樣式が變つた人々は、絨氈で覆うた移動包の代りに周圍が土で塗られて固定包となり、更に支那式家屋の形式をもつものも見られる。これは都會に近い住居の一つ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎蒙古の兵舎(蒙古)
建國と共に國車の充實は目ざましいものがある、邊土の草原を守る蒙軍の兵も、その昔成吉斯汗に率ゐられた頃の血が體內に呼びさまされ性來の精悍さに更に練磨されて、今は力强い存在となつて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎四ッ手網(鄱陽湖)
舳に四ッ手網を付けた漁船が洋々とした鄱陽湖に畵のやうに流れる。網は桿杆の作用で極く手輕に取扱はれ種々な淡水魚の巨鱗が網の中に光る。褐色の萍々たる濁水の流れに漁る船の姿はどことなく大陸的な味がされる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎革命記念碑(南昌)
この記念碑は民國十五年の革命に、蔣介石が孫傳芳の大軍と戰火を交へて大勝した時のもので、しかも今時の聖戰ではその蔣軍が一敗地にまみれた記念ともなつた。南昌は空の軍神南鄕少佐の散華で知らるゝ町である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎南昌の文廟(南昌)
由來支那は孔子樣の本場だけにどこにも文廟が祀られてある。古い孔孟の徒も共産主義の毒手や土匪の災禍で文廟を顧ることもおろそが勝ちであつたが、今では漸く人々の參詣も見られるやうになつた。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎贛江のほとり(南昌附近)
鄱陽湖に注ぐ河川の大なるものに鄱江、汝水、信江等がありが贛江を以て最とされる。長江に汽船の浮ばなかつた昔時には河南、安徽から廣東に通ずる唯一の水路として繁昌した河である。これは南昌近くの河畔に見る石灰窰である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎袁州の石坊(袁州)
袁州は通稱宜春と呼ばるゝ江西の小驛で、今ではその昔李泰白の袁州々學記で知られた面影もなく、度々の匪禍に惱まされた為めか見る可きなにもない狹隘な田舍町に過ぬぎ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎新喩(新喩)
新喩は袁江の北岸に沿ふた浙贛鐵路沿線の極くさゝやかな小驛である。こんな田舍にも「以黨建國」の宣傳文句が掲げられたが今はそれも惡政の名殘を止めるのみである。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎萍鄕郊外(萍鄕)
靜かに洲に浮んだ丹碧の甍、白亞の彩と映えて美しく投げられた倒影、如何にも落付いた田舎町らしい萍鄕郊外の夏たけなわな一點景。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎炭坑の町(安源)
西の省境近い萍鄕の町に萍鄕炭坑で知らるゝ安源の炭坑がある。武功山を背景に展げられたこの炭都は、古くから採炭せられた礦區で一時は有數の炭坑として漢冶萍鐵公司の一事業と知られた。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎橫龍寺(袁州郊外)
萍鄕は江西から湖南に入る省境の人口一萬計りの小さな町で、附近には炭坑で知らるゝ安源がある。橫龍寺は町の西郊外の丘陵にある古刹で、鬱蒼三差たる綠葉のうちに白亞の石坊美しい由緒ある寺觀である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎灌漑水車(袁州郊外)
今年の夏は特に熱い、焦けつくやうな炎暑の日が續いて稻田の水もどうやら怪しげである。せゝらぎに架けられた水車はクル(クル)と水揚げに忙がしげに、路行く人も照りつける陽にあえぐ。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎水に棲む群れ(福州)
閩江を語るものは水上生活者蛋族を忘れてはならぬ。江上に螺集した扁舟の群は宛然一大市街をなし、花舫あり、飮食店船あり、水に生れ水に老ひ舢仔を唯一の天地とする人々の群である。前方なるは猫雀と云ふ雜貨積の船である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎船を操る女(福州)
福建には漢人の外に、陸に居住する先住の種族民と、いつ頃からか水上を常住とした蛋族とが居る。由來男より女のよく働く處で水馴棹一本で閩江を上下する操舟の手際はうまいもので、例外なく舢板の船頭は悉く女である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎狹い路(福州)
車が擦違つたら塞つてしまふ程福州府城の街路は狹苦しい。普通二間から三間位で、繁華區域などは看板や裝飾で蔽はれる中を文字通り肩摩轂擊で賑つて居る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎家鴨群(福州)
水に惠まれる福州附近では水に浮ぶ家鴨の放飼をよく見る。廣々した閩江の流れに時には筏に箱を積み家鴨の家を作つて悠々水上を流し步く長閑な情景も見る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎桃の徑(福州)
福州附近は果樹の栽培多く果實の輸出と共に、季節となればそれぞれ風致を添へる。これは郊外の桃林で、姚々たる桃花の盛時に、花薰る小徑の逍遙に南國の春を味ふも一興であらう。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎竹の黃包車(福州)
福州附近は元來山地で穀類の產出は少いが、古來から茶の產地として有名で、竹、木材がこれに次ぎ果實も豐富である。竹の筏や竹の車などに見るやうに竹製品が多く竹紙が輸出品の一つに數へられる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎江岸の家並(福州)
全長三百七十浬、二十七都市を絡ぐ閩江の流域は交通不便の福建の動脈を爲すもので、江上には隨所に難所が數へられる。水の增減の差一丈に及ぶ處もあると云はれるので、河岸に建てられる家屋もそれを考慮せられて居るらしい。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎共同走舸(福州)
閩江に浮ぶ民船の種類は數多く、帆船にも布製もあれば竹の帆もあり、櫂にも幾種類もあり、丈餘に及ぶやぐら櫓を付けたものも見られる。これは福州特有の赤く塗りつぶされた蓋のある舢板が仲良く繋がれたもあい船である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎三把刀の由來(福州)
福州の女が大事さうに戴いて居る三把刀の頭飾は、その昔唐の國に、國中の男と云ふ男が皆殺され殘つた女は唐人に娶されたので、夫の仇を報じやうと三把頭を付けたのが、星移り今では美術的な裝飾として殘つたのだと傳へられる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎朝もや(福州)
濛々とした朝靄の切れまに鄙びた海女の船唄が流れてどこともなく轤をきしる音が近づいて來るらしい。江上の朝まだきは、淸々しい微風のうちにやがて水平線あたりから茜色に明けて行く。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎香港(香港)
暴戾あくなき英國の毒牙にかかつてから約百年、香港は支那事變にも對支援助の據點として手を燒かした。然し運命の日は遂に來た、昭和十六年十月八日開戰と共に皇軍の攻擊となり、十二月二十六日永い惡夢は破られて遂に我手に歸し、今は新生享樂の歡喜に輝かしい更正に進みつつある。これはありし日の香港の姿。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎香港市街(香港)
上海の黃浦江を發した船が二晝夜半で香港島に達する多年英國の殖民地として軍事乃至政治的策源地となり東洋の癌をなした地で、市街は島の北岸の平地と山腹に延び、東西約五哩の細長い帶狀をなし純然たる歐風都市の觀を呈して居る。人口百二三十萬。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎香港市街(香港)
市街の中央高丘、一千八百二十呎のビクトリア・ピークを中心に海岸までの間、傾斜面を埋める大廈高樓の櫛比その間を上下縱橫に縫ふ舗裝路などこれが百年前の寒村とは思はれぬ壯觀である。若しそれ夜間海上から望む美觀など、今は全てが生産された英國の誇つた植民力を物語る。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎英國式の街(香港)
營々と築上げた大香港の威容のどこにも英國人の威壓が覗かれる。先づ都市建設の自國化、それから生活の支配、更に續く壓迫、斯うして東洋の文化都市香港は築き上げられたが彼等の盲目的な援支は却つて自身の存在を否定して今日を招くことを知らなかつた。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎町角にて(香港)
英國は表面支那人を喜ばせつつ蔭から壓迫と搾取の糸を引いた。特に事變中の香港は戰禍の巷から超然とした地帶なので支那人の入るものが多く、これを好餌として軍事輸送の據地となし、彼等は利用されて來た。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎韮の香(香港)
近代建築の美と文明施設の粹を誇る香港にも裏に迴ればこんな皮肉な一角がある。紅塵のうちに油と韮の香が交錯する雜踏の世界、支那人は外國に出ても尚自分達の生活に適した巢を作る國民である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎埠頭を望む(香港)
香港の港は英國の東洋根據地であり自由貿易港であつた計りでなく、歐洲航路と極東航路の寄航地であるため開港以來僅か百年に過ぎぬが貿易も異常に發展しその額十億に達すると云はれた。これは東部灣仔から望んだ中央附近海岸の遠景である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎香港港外(香港)
香港島は香港の市街を除けば東部及び西海岸に僅かに工場があるのみで殆んど見るべきものは無い。唯西海岸の風光は山水の美に富み山あり海あり頗る閑雅清適の景勝をなしてゐると云はれる。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎女勞働者(香港)
日本の踊姿に見るやうな紺の垂布の下つた笠を被り、甲斐々々しく手甲をして働く女の姿は珍しい恰好である。これは此の地方奥地に住む苗族と云はるる一族で、廣東や香港あたりの道路工事に働く、賤民の女勞働者である。 (印畫の複製を嚴禁す) -
◎雨の丘(香港)
雨模樣の空に斷崖を縫ふ鋪道の一角から望んだ山腹、紅や碧の瓦と白堊の高樓も幽しかに煙り、遙かに望む紺靑の波も山下に重なり市街の家並も煙雨に覆はれて模糊として居る。南國の雨空はいともやはらかに靜かである。 (印畫の複製を嚴禁す)